名古屋高等裁判所 平成10年(行コ)23号 判決 2000年9月28日
控訴人 松井昭子
被控訴人 名古屋北労働基準監督署長 ほか一名
代理人 川村和夫 長谷川鉱治 所満 ほか五名
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は、控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人名古屋北労働基準監督署長が、控訴人に対して平成元年六月八日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償年金、遺族補償年金前払一時金及び葬祭料を支給しない旨の各処分をいずれも取り消す。
3 被控訴人愛知労働者災害補償保険審査官が、控訴人に対して平成二年六月二九日付けでした審査請求を棄却する旨の決定を取り消す。
4 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人らの負担とする。
二 被控訴人ら
主文同旨
第二事案の概要
事案の概要は、次に付加訂正するほか、原判決「事実及び理由」の「第二事案の概要」のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決一一頁末行「以下、」の次に「後記認定の陳旧性心筋梗塞等の心臓機能障害を併せ」を加える。
2 原判決一三頁八行目「平成元年六月七日、」を「平成元年六月八日、」と改め、一四頁七行目末尾に次のとおり加える。
「労働保険審査会は、右再審査請求につき、平成六年六月三〇日、一部棄却・一部却下の判決をし(<証拠略>)、本件決定を維持した。」
3 原判決三〇頁五行目から六行目にかけて「一か月から三か月かかり、」を「三か月から半年かかり、」と改める。
第三当裁判所の判断
一 当裁判所も、控訴人の請求は、いずれも理由がないものと判断する。その理由は、次に付加訂正するほか、原判決「事実及び理由」の「第三 争点に対する判断」のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決六三頁八行目から九行目にかけて「立証するにおいても、」以下同一〇行目「立証すれば足り、」までを「立証するにおいても、亡靖夫の本件基礎疾患の内容、程度、健康状態、本件疾病の内容、程度、発症の経過、業務の性質、内容、発症前の業務の状況等を総合した上で、亡靖夫の基礎疾患を自然的経過を超えて急激に増悪させたと医学的に矛盾なく説明し得る過重な業務の存在等、業務と増悪との間に相当因果関係を是認し得る高度の蓋然性を認めるに足りる事情を立証すべきであり、そのような事情が立証された場合には、」と改め、六三頁末行「精神的負荷等」の次に「、過重な業務以外の他の要因」を加える。
2 原判決六五頁五行目「民男」の次に、「、当審同水野嘉子」を加える。
3 原判決七七頁七行目(「一か月ないし三か月」を「三か月ないし半年」と、七九頁四行目「およそ半年を目処に」を「遅くとも半年以内に」と改める。
4 八四頁初行「靖夫は、」の次に「右の頻度で催促するにはそれ以上の割合で架電せねばならず、また、」と付加する。
5 原判決八六頁八行目から九行目にかけて「ほとんど時間外勤務をすることはなく、」を「通常、」と改める。
6 原判決九七頁末行「三」を「7」と、一〇六頁三行目「(三)」を「(四)」と、一〇八頁二行目「(四)」を「(五)」と、同五行目「(五)」を「(六)」と、一一三頁三行目「(四)」を「(七)」と、同末行「(五)」を「(八)」と、一一八頁九行目「五」を「四」と、一三六頁八行目「六」を「五」と、一四一頁三行目「七」を「六」とそれぞれ改める。
7 原判決一二〇頁初行「亡靖夫」から三行目末尾までを次のとおり改める。
「業務である以上、それ相応の肉体的、精神的負担を生じさせるものであるというべきであるが、亡靖夫の本件発症当時の健康状態に比し、その基礎疾患を自然的経過を超えて急激に増悪させるような重い負担を伴う性質の業務内容であるとは認められない。控訴人は、最終審査業務は専門的、技術的で細かい神経を使う業務であること、業務に習熟すれば一層注意を払って仕事をするようになるから、精神的負担は軽くなるというものではないとして、過重な業務であると主張するが、形式的事項の審査を中心とする前記最終審査業務が、その業務自体の性質、内容上、亡靖夫の基礎疾患を自然的経過を超えて急激に増悪させるような重い負担を伴うなどとはおよそ認定できない。」
8 原判決一二一頁四行目から五行目にかけて「亡靖夫が時間外勤務をしていなかったことは前記認定のとおりであるから、」を「前記認定の亡靖夫自身の最終審査業務の取扱件数に照らせば、」と改める。
9 原判決一二一頁末尾に次のとおり加える。
「控訴人は、本件疾病発症の日である昭和六二年一〇月一四日が住宅金融公庫の締切日であって繁忙な日であったと主張するが、右(原判示)のとおり、同日(午前一一時ころから午後五時までの勤務)における亡靖夫の処理件数が八件であったことに照らし、同日の亡靖夫の業務量が通常の日に比べて過重であったとまでは認められない。」
10 原判決一二三頁四行目「亡靖夫は」から五行目「処理していること、」までを削除し、六行目「程度であったこと」から七行目末尾までを次のとおり改める。
「程度であり、業務量が過多であるとは認められず、また、証拠(<略>)によれば、本件疾病発症の約一〇日前である昭和六二年一〇月五日の健康診断において、亡靖夫の心臓の状態は安定しており、心胸郭比などは数年前に比べ悪化しておらず(むしろ、多少改善されたともみられる。)、疲労の蓄積等の懸念材料も窺われないところであるから、右健康診断日以前の追加担保管理業務が亡靖夫の基礎疾患を増悪させていたと認めるには足りないし、右健康診断日以降発症までの間の追加担保管理業務は、立垣の件を除けば、特段以前に比べて過多であったとか難易であったと認めるべき証拠もなく、基礎疾患の急激な増悪を来すような業務過重性を認定するには足りない。」
11 原判決一二四頁五行目「及び」から六行目「していたこと」までを削除する。
12 原判決一二四頁一〇行目(を次のとおり改める。
「(3) 勤務時間の過重性等
ところで、亡靖夫の勤務時間の過重性に関し、控訴人は、東海銀行の勤務時間記録票が、本来行われた筈の時間外労働を記載していないから、右勤務時間記録票を基に時間外労働は存しないとは認定できないこと、亡靖夫は、時間外労働が禁止されていたが、実際には、数十分の単位の時間外労働には従事せざるを得ず、それが過重な負担であった旨主張する。
確かに、ローン業務センターに転勤後も、亡靖夫が五時を過ぎて職場に残ることがあったと認めることができるが、証拠(<略>)によれば、その内容は、業務時間終了後二、三〇分程度の残業で、恒常的なものではなく、しかも上司等から命じられたものではない残業と認められる。控訴人は、原審において帰宅時間からみて、繁忙期には午後七時ころまで二時間程度の残業をしていたと供述し、当審証人松井重勝はこれに沿う証言をするけれども、前掲証拠に照らし、右本人及び証人の各供述はたやすく措信し難いので採用しない。そして、前記認定の程度の残業が、残業をしない場合に比べ、亡靖夫に対し過度の疲労の蓄積や睡眠時間の減少などを来し、その基礎疾患を増悪させたと認めるに足りる具体的証拠はない。また、前記のとおり、本件疾病発症の約一〇日前である昭和六二年一〇月五日の健康診断において、亡靖夫の心臓の状態は安定しており、疲労の蓄積等の懸念材料も窺われないことからすれば、右健康診断日以前の残業は、亡靖夫の基礎疾患を急激に増悪させていたと認めるには足りない。結局、控訴人の主張を考慮しても、発症前一週間程度の間の二、三〇分間程度の残業が問題となるものの、その程度の残業が、亡靖夫の基礎疾患を、右残業がない場合の経過を超えて急激に増悪させたものと認めるに足りる証拠はない。
また、亡靖夫は、右の最終審査業務と追加担保管理業務を併せて担当していたものであるが、本件証拠からは、両者を併せて担当したことを考慮しても、これにより業務過重性を認定することもできない。
この点、控訴人は、亡靖夫の心拍数が、帰宅後は健康人と大差はないが、業務中は一〇〇以上の心拍数を示しているという田渕医師の当審証言を援用し、右両者を併せた担当業務が亡靖夫にとっては過重であったから、業務過重性が認められるべきである旨主張する。しかしながら、亡靖夫は、ローン業務センターにおいて、過去約四年にわたり、右担当業務をこなしてきていたが、その担当業務を原因として基礎疾患が急激に増悪してきた形跡は存しないし、この間右センターの加藤所長は勤務時間中の診療所への出入りの許可等十二分の配慮をしていたというのに、月二回の通院治療や定期的な健康診断において、三浦医師、平田医師、水野嘉子医師らから、そのような担当業務の禁止・制限の指示がなかったこと等と対比しても、右田渕証言をもって亡靖夫の基礎疾患の急激な増悪を来す過重なものであることを裏付けるものとは認められず、業務過重性を認定するに至らない。
(4) 立垣との電話について」
13 原判決一二六頁九行目「イレギュラー案件や」を削除し、末行に改行の上、次のとおり加える。
「これに対し、控訴人は、立垣の対応は理不尽で、同人に関する追加担保管理業務は希にみる極端なイレギュラーケースで、異常な出来事であり、亡靖夫にとり大きなストレスとなっていたところに電話において上司と代われなどと侮辱的発言を浴びせかけられ、これが過度のストレスとなって本件疾病発症に至った旨主張する。
当裁判所も、右電話以前の立垣の対応が理不尽で、亡靖夫が少なからずストレスを感じていたことを背景に、心臓に障害を持つ亡靖夫において、右電話での立垣の侮辱的発言が引き金となって本件疾病の発症に至った可能性があることを当然に否定するものではない。しかし、右発症の過程を業務過重性という観点からみれば、まず、右電話以前の立垣に関する追加担保管理業務に関しては、前記認定のとおり、立垣に関する追加担保管理業務が亡靖夫にとって処理困難なものであれば上司に相談することができる状況にあったこと、立垣の理不尽な対応が続いていた昭和六二年一〇月五日の健康診断においても、亡靖夫の心臓の状態は安定していたことからすれば、右電話以前の立垣に関する追加担保管理業務が亡靖夫の基礎疾患を急激に増悪させていたとみることはできず、この点での業務過重性を認めるには足りない。次に、発症直前の右電話に関しては、長期間、銀行側の要請を拒否している顧客に対し、電話で従前と同様の要請をした際に、これを拒絶され、逆に、上司を出すよう詰め寄られるといった事態は、時には生じ得ることであって、ベテラン行員にとって予測困難な事態とまでは認められず、前記認定の電話における立垣の発言についても、業務の過程において時には生じ得るもので、また、亡靖夫のような渉外的業務の経験もあるベテラン行員にとって予測し得る事態であったと評価することができるから、業務中生じた右事態が、その性質上、亡靖夫の基礎疾患を急激に増悪させるものであったとまではいえず、やはり業務過重性を認定するには不十分である。
なお、控訴人は、立垣の供述を根拠に、右電話の際、亡靖夫が声を荒げていたと主張するが、亡靖夫の周囲の上司・同僚らは一致して声を荒げるといった興奮した状態ではなかった旨供述しており、また、亡靖夫の性格は冷静であるとも認められる(<証拠略>)ので、亡靖夫が声を荒げていたと認定することはできない。しかし、仮に、亡靖夫が冷静さを失い声を荒げていたとしても、右電話における立垣の発言が業務上生じ得るもので、亡靖夫にとり予測可能な範囲内の出来事であった以上、業務自体として過重性があると断ずることは困難である。」
14 原判決一二八頁六行目「さらに、」を「ところで、前記服部医師は、」と改め、一〇行目「五度に」から一二九頁九行目までを次のとおり改める。
「五度に該当する旨意見書等に記載しているが、亡靖夫を以前から診断していた循環器の専門医である水野嘉子医師は、右の連発やRonTは、直ちに突然死に至るような悪性のものではないと当審において証言し、同医師の本件心電図を見た当時のカルテ(<証拠略>)にも特段危険性の高い不整脈が存することを窺わせる記載がないこと、その他、平田医師、須田医師の前記(原判示)意見書等、伊藤医師の当審証言(NYHAの心臓機能分類の二度に該当するとする。)からすれば、服部医師の右意見書等を直ちに採用することはできない。服部を除く右各医師の証言ないし供述記載、及びこれらにより認められる亡靖夫の心胸郭比が最悪の時より改善していたこと、左室駆出率が比較的良かったこと、肺野うっ血がないこと等の事実、前記認定の亡靖夫の勤務の継続状況などを総合すれば、亡靖夫の心臓疾患の程度は、自覚症状の出現に基づく分類である前記NYHAの心機能分類の二度程度のものであったことまでは認められるが、それ以上に重篤であったか否か、他の分類方法の何度に該当するかについては、これを一義的に確定することはできない。
しかし、いずれにしても、亡靖夫の心臓の状態に関する各医師の証言、供述記載等をみると、致死的不整脈の発症には更なる一段の条件が必要であるが、心筋梗塞が陳旧化しているため心室期外収縮を起こし易く、それが心室頻拍、心室細動に移行する率も高く、この点は通常人とは差がある状態であったこと(<証拠略>)、あるいは、電話の受け答えは余り疲労していない状態であれば十分可能であるが、業務中において、心拍数からみて通常人なら一〇〇を超えない程度の身体的、精神的負担であっても亡靖夫の場合は一二〇程度まで進むことがあり、そのような頻拍が続いている状態で新たに負担が加われば重篤な疾病を発症する可能性があったこと(<証拠略>)、小さな心筋梗塞を併合したときには一気に重篤な疾病を発症する可能性があったこと(<証拠略>)、通常の生活において発生する自律神経の興奮ないしアンバランス誘発された心室性期外収縮が心臓突然死のきっかけとなることもあり得ること(<証拠略>)が指摘されているところである。
これら各医師の指摘は必ずしも一致するものではないが、前記認定のとおり、亡靖夫は、昭和三八年に大動脈弁狭窄兼閉鎖不全症と診断され、昭和四四年には心臓弁置換手術を施され、昭和四八年(昭和五一年再発作)に急性心筋梗塞(<証拠略>によれば、左心室の二ないし三割の筋肉が機能しなくなった可能性のある広範囲前壁梗塞と推測される。)を発症し、その後約一四年間通院と服薬等により管理されていたが、清算係に配属後も勤務中たびたび心臓発作を起こしていたものであり、このような病状の経過をふまえて右各医師の指摘を考慮すれば、本件疾病発症当時の亡靖夫の心臓の状態は、一応安定していて日常生活が可能であったものの、ストレス刺激に対する心臓の抵抗力が低下した状態であったことは否めず、業務中において、健常人にとってはさほど負担の大きくない程度のストレス源に誘発されて、不整脈発作などによる突然死が起こるリスクが、健常人よりも相当高かったものと推認することができる。」
15 原判決一三〇頁五行目から一三一頁三行目までを次のとおり改める。
「しかしながら、前記検討のとおり、立垣からの電話を含む亡靖夫の本件疾病発症当時及びそれ以前の業務は、そもそも亡靖夫の当時の健康状態からみて、客観的には、特段過重な業務であったとは認められない。他方、前記のとおり、亡靖夫には、負担が大きいとは認められないストレス源等に誘発されて、不整脈発作などによる突然死が起こるリスクが健常人よりも高いと認められるのであるから、この点からみれば、本件疾病の発症は、亡靖夫の右突然死のリスクが、業務過重性を基礎付ける程度にも至っていない立垣との電話をきっかけに現実化した結果であるという可能性も排斥できない。そうすれば、亡靖夫の業務と本件疾病発症との間に条件関係は認定し得るにしても、過重な業務に内在する本件基礎疾患増悪の危険性が、右突然死のリスクを差し置いて現実化したため本件疾病発症に至ったとまで認定することはできない。」
16 原判決一三一頁八行目「供述しているが、」から一三二頁初行までを次のとおり改める。
「供述している。しかし、業務の過重性は、被災労働者のみならず同種、同僚労働者も含めて、相対的、客観的に判断されねばならぬところ、本件における亡靖夫の本件疾病発症時の業務が同人の健康状態に照らし客観的には過重なものとは認められないことは前記認定のとおりである。そして、被災者の健康状態に照らし客観的には過重とは言えない程度の業務によるストレスが、何らかの事情により被災者にとっては主観的に急激で強い心理的ストレスとなったために疾病を発症させる事態に至ったとしても、そのような発症をもって直ちに過重な業務に内在する疾病発症の危険性が現実化した結果であると認めることはできない。そうすれば、須田医師の右供述は採用することができない。
したがって、亡靖夫の業務と死亡との間の相当因果関係はこれを認めることができない。」
17 原判決一三三頁五行目から一三四頁二行目までを次のとおり改める。
「(1) 控訴人は、亡靖夫において時間外労働を余儀なくされていた点につき、安全配慮義務違反が存すると主張するが、前記のとおり、亡靖夫の残業が、亡靖夫の本件基礎疾患を、右残業がない場合の経過を超えて急激に増悪させたものと認めるに足りる証拠はない。」
18 原判決一三五頁四行目から五行目にかけて「東海銀行に安全配慮義務違反があったということはできない。」を「業務それ自体に内在する疾病増悪の危険性が現実化したものと認めることはできない。」と改める。
19 原判決一三六頁初行「配属していた」から二行目末尾(までを「配属していたものであり、右職場の業務内容が亡靖夫の本件疾病発症当時の一応安定した健康状態と対比し、特に過重なものとは認められないことは前記認定のとおりである。」と、六行目「適正でなかったとは認められない。」を「業務過重性を基礎付けるとも認められない。」とそれぞれ改める。
20 原判決一三九頁八行目「閉鎖されていたことをもって」の次に「業務の性質上」を加え、一四〇頁二行目「電話中で」から五行目末尾までを「電話を代わってもらって直ちに治療薬を服用することが業務の性質、内容からみて困難であったとは認められない。」と改め、九行目「制約ではないから、」から一四一頁初行末尾までを「制約ではなく、業務中断後の周囲の者らの対応の善し悪しの問題であって、業務起因性を基礎付けるに足りない。」と改める。
二 よって、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担について、行訴法七条、民訴法六七条一項、六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 笹本淳子 鏑木重明 戸田久)
【参考】第一審(名古屋地裁平成五年(行ウ)第二六号 平成一〇年六月二二日判決)
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
1 被告名古屋北労働基準監督署長が、原告に対して平成元年六月八日付けでなした労働者災害補償保険法による遺族補償年金、遺族補償年金前払一時金及び葬祭料を支給しない旨の各処分をいずれも取り消す。
2 被告愛知労働者災害補償保険審査官が、原告に対して平成二年六月二九日付けでなした審査請求を棄却する旨の決定を取り消す。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
第二事案の概要
本件は、株式会社東海銀行(以下「東海銀行」という。)の従業員であった松井靖夫(以下「亡靖夫」という。)が顧客と電話中に急性心不全(以下「本件疾病」という。)を発症して死亡したことが業務に起因するものであるとして、亡靖夫の妻である原告が、被告名古屋北労働基準監督署長(以下「被告労基署長」という。)に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償年金、遺族補償年金前払一時金及び葬祭料の各給付を請求したところ、被告労基署長が、本件疾病は業務上の事由によるものとは認められないとして、右各請求につき不支給処分をしたため、これを不服として審査請求の申立てをしたが、被告愛知労働者災害補償保険審査官(以下「被告審査官」という。)も右申立を棄却したことから、亡靖夫の死亡は業務に起因すること、被告審査官の審査手続に瑕疵があること等を理由として、被告労基署長の右処分及び被告審査官の右決定の各取り消しを求めた事案である。
一 争いのない事実等(特に証拠を掲げたもの以外は、当事者間に争いがない。)
1 亡靖夫は、昭和一九年一〇月一五日に出生し、昭和三八年三月、静岡県立袋井商業高校を卒業後、同年四月一日に東海銀行に入行し、以来支店業務、ローン関連業務等に従事していた。
原告は、亡靖夫の妻である。
2 亡靖夫の従事していた業務
(一) 東海銀行における経歴(<証拠略>)
亡靖夫は、東海銀行に入行と同時に愛知県岡崎市所在の岡崎支店に配属され、同支店において受託(補助)、預金(元帳)、資金(補助)、為替(補助)、貸付(元帳)、テラー(為替・両替)、当座受付、当座内部等の各業務に従事し、昭和四九年八月一日に名古屋市千種区所在の出来町支店に配転され、同支店において受託受付、相談窓口、ローン折衝等の各業務に従事した後、昭和五八年一一月二五日から名古屋市中区所在の東海銀行ローン業務センター(以下「ローン業務センター」という。)の住宅金融公庫(以下、単に「公庫」ともいう。)の代理業務を取り扱う公庫個人貸付竣工・登記・精算係(以下、単に「精算係」という。)へ配転され、個人貸付の最終竣工書類の審査及び追加担保書類の審査、管理業務に従事していた。
(二) ローン業務センターの業務概要
(1) ローン業務センターの組織等(<証拠略>)
ローン業務センターは、東海銀行の業務のうち、住宅金融公庫の融資手続の代理店業務(以下「受託業務」という。)、年金担保貸付、国民金融公庫による進学資金等の貸付等のローン関連業務を分掌していたが、そのうち受託業務がそのほとんどを占めていた。また、東海銀行は、名古屋、大阪、東京の各営業拠点にローン業務センターを置いていたが、このうち亡靖夫の勤務していたローン業務センターは、愛知、岐阜、三重県内の各支店が取り扱う融資案件の処理を分掌していた。
右ローン業務センターの昭和六二年一〇月一日当時の構成は、加藤富美男所長(以下「加藤所長」という。)、赤羽勉次長以下職員三五名であったが、業務の効率的遂行のため、その業務を、内容に応じて企画・総務、年金、公庫融資関係の各グループに分け、さらに公庫融資関係業務について、個人貸付係、精算係、団体貸付係、回収・火災保険係、債権管理係の五係に分け、各々四名から七名の行員を配置するという体制をとっていた。
(2) 受託業務の概要(<証拠略>)
受託業務は、公庫から交付されていた手続マニュアルに従って、概要、以下の順序で処理されることとなっていた。
すなわち、公庫個人融資手続は、東海銀行各支店の公庫融資申込窓口において融資申込みを受理することをもって開始され、設計審査及び建築確認の終了後に融資基本約定書の提出を受けて中間資金が交付される。次いで、竣工建物についての表示登記、所有権保存登記がされたのち、顧客から提出された権利証及び必要書類をもとに金銭消費貸借契約及び抵当権設定契約を締結して抵当権設定登記を行い、登記簿謄本により右抵当権設定登記の具備を確認した後に、残余の融資金を交付することになっていた(以下、これを「最終回資金交付」という。)。
このうち、亡靖夫の所属していた精算係は、右中間資金交付後から最終回資金交付までの事務を担当していた。
(3) 精算係の業務内容
<1> 最終竣工書類の審査
精算係では、最終回資金交付に関する事務を主として取り扱っており、右事務に必要とされる各種の必要書類について最終的な照合及び記載内容の審査(以下「最終審査業務」という。)を行うこととされていた。
<2> 追加担保書類の審査、管理業務
精算係では、土地区画整理事業の保留地上に公庫融資を利用して住宅を建築しようとする顧客については、土地区画整理事業が完了するまで土地について登記簿も権利証も作成されず抵当権設定登記ができないことから、土地について後日抵当権を設定する旨の念書を顧客から取り付けた上で、金銭消費貸借契約を締結して最終回資金を先に交付し、貸付条件管理簿で顧客管理を行い、事業主体から土地区画整理事業が完了した旨の通知を受け取り、かつ顧客が土地について所有権移転登記を具備した時点以降に、追加的に抵当権(以下「追加担保」という。)の設定を行うこととしていた(以下、この最終回資金交付後の追加の抵当権設定事務等を「追加担保管理業務」という。<証拠略>)。
3 亡靖夫の健康状態
亡靖夫は、昭和三八年四月に東海銀行に入行する際の健康診断において、大動脈弁狭窄兼閉鎖不全症(以下、「本件基礎疾患」という。)と診断され、昭和四四年二月、名古屋第一赤十字病院において大動脈弁を人工弁に置換する手術を受けた。
亡靖夫は、昭和四〇年一〇月、東海銀行の本店診療所長から健康管理区分Y(要注意=時間外、休日、当直、宿泊出張の各勤務の禁止)の指定を受け、定期的に心電図検査等を受けていたが、昭和五九年二月八日には身体障害者三級の、昭和六〇年二月ころには同一級の指定を受けた(<証拠略>)。
4 亡靖夫の死亡
亡靖夫は、昭和六二年一〇月一四日午後五時二〇分ころ、精算係の自席において顧客である立垣卓史(以下「立垣」という。)との電話応対中に急性心不全を発症し、通報により同日午後五時四二分ころに到着した名古屋市中消防署の救急隊員による人工呼吸、心臓マッサージ等の処置を受けたが回復せず、同日午後六時二〇分、江口泰輔医師により死亡を確認された。
亡靖夫の直接死因は急性心不全であり、死亡時の年齢は四三歳であった。
5 不支給処分等の経緯
(一) 原告は、昭和六三年一一月二二日、被告労基署長に対し、亡靖夫の死亡は業務上の事由によるものであるとして、労災保険法に基づいて遺族補償年金、遺族補償年金前払一時金及び葬祭料の各給付を請求したが、被告労基署長は、平成元年六月七日、本件疾病は業務上の事由によるものとは認められないとして、右各保険給付を不支給とする旨の処分(以下「本件処分」という。)をなし、その旨原告に通知した。
(二) 原告は、本件処分を不服として、平成元年七月三日、被告審査官に対し審査請求(以下「本件審査請求」という。)を申し立てたが、被告審査官は、平成二年六月二九日、本件疾病は亡靖夫に存在した本件基礎疾患の自然的経過であり、業務上の疾病とは認められないとして、審査請求を棄却する旨の決定(以下「本件決定」という。)をなし、その旨原告に通知した。
(三) 原告は、本件決定を不服として、平成二年八月一〇日、労働保険審査会に対し再審査請求をなしたが、請求後三か月を経過しても裁決がなかった。
二 争点
1 業務起因性を肯定するためには、業務と疾病の発症との間に相当因果関係の存在が必要か否か。
2 仮に1が肯定されるとして、相当因果関係の立証責任は原告、被告のいずれが負担するのか。
3 亡靖夫の死亡に業務起因性が認められるか否か。
4 亡靖夫の死亡は、業務遂行により救命可能性を奪われたものであるか否か。
5 被告審査官の審査手続に瑕疵があるとして、本件決定が違法となるか否か。
三 争点に関する当事者の主張
1 争点1について
(一) 原告の主張
(1) 合理的関連性論
労働者災害補償制度(以下「労災補償制度」という。)の趣旨は、労働基準法(以下「労基法」という。)一条に規定されている「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべき」労働条件の最低基準を定立することを目的に、負傷、死亡又は疾病が「業務上」であることのみを要件として各種の労災補償給付等を行う法定救済制度であるところに求められるべきものであり、被害者、加害者間の公平な損害の填補を目的とする民事損害賠償制度とは制度目的を異にするから、労災補償においては、民事損害賠償の場合よりも、その救済対象を拡大する必要がある。
それゆえ、業務起因性の判断において、民事損害賠償制度における相当因果関係論を持ち込むのは相当でなく、労基法七六条、七五条にいう「業務上負傷し、又は疾病にかかった場合」とは、業務と負傷、又は疾病の発症との間に合理的関連性があることをいい、法的要件としてはこれで必要かつ十分というべきである。
仮に、右「業務上」の要件が、業務と負傷、疾病の発症との間に相当因果関係の存することをいうと解するとしても、前述のとおり、被災労働者の救済の範囲は拡張して解する必要があるのであるから、労災保険法上の相当因果関係は、民事損害賠償制度における相当因果関係論とは区別され、それよりも救済対象を拡大したものであって、前述の合理的関連性と同義に解すべきである。
(2) 共働原因論
仮に、労災保険法上の業務性を、労働者の負傷、疾病と業務との間に相当因果関係が存在しなければならないと解するとしても、被告の主張する客観的相対的有力原因論は、業務と他の共働原因が量的に比較不能であるときは成り立ち得ないし、また、業務の負担と基礎疾患の憎悪は密接に関連する場合がほとんどであるから、そもそも競合する原因を別個独立のものとして対立的に捉え、業務と他の共働原因のいずれが有力であるかを比較するという考え方自体が誤りである。
それゆえ、相当因果関係の存否の判断基準としては、業務と関連性を有しない基礎疾患等が発症の原因となった場合であっても、業務が基礎疾患等を誘発又は憎悪させて発症の時期を早める等、それが基礎疾患とともに共働原因となって発症を招いたと認められる場合には、業務と疾病との間に相当因果関係があると解すべきである。
(二) 被告らの主張
(1) 業務起因性の判断基準について
労災保険法に基づく保険給付の対象となる業務上の疾病については、労基法七五条二項に基づいて定められた同法施行規則(以下「施行規則」という。)三五条により同規則の別表第一の二に列挙されているところ、本件疾病である急性心不全の発症が保険給付の対象となるためには、同別表第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当することが必要である。
しかして、およそ労働者に生じた疾病については、一般に多数の原因ないし条件が競合しているところ、労基法上の災害補償制度は、労基法上認められる業務上の災害が発生した際の事業主の補償負担を緩和し、労働者に対する迅速かつ公正な保護を確保するために制定されたものであり、支給要件として使用者の過失を問わず、また、罰則をもって使用者に画一的に法定補償額の支払いを義務付けていることに鑑みれば、右のその他業務に起因することが明らかといえるためには、単に業務と疾病との間に条件関係が存在するのみならず、相当因果関係の存在が必要であるというべきであって、右相当因果関係が存在するといえるためには、業務が当該疾病の発症に対して相対的に有力な原因となったことが医学的に認められる場合に限られるというべきである。
(2) 虚血性心疾患と業務起因性の判断基準について
ところで、本件疾病のようないわゆる虚血性心疾患の発症に関しては、業務が急激な血圧変動あるいは血管収縮を引き起こし、本来的には私病である血管病変等を、その自然的経過を超えて急激に著しく憎悪させ、心疾患等を発症させたと医学的見地から肯定しうる場合には、業務に内在する有害因子ないし危険が現実化したものといえ、当該業務は、虚血性心疾患の相対的に有力な原因となる余地がある。
しかるところ、労働省労働基準局では、前記「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定につき、昭和六二年一〇月二六日労働省労働基準局長通達基発第六二〇号「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(以下「本件認定基準」という。)と題する認定の指針を示し、概要、左記に該当する疾患を規則三五条別表第一の二第九号に該当する「業務に起因することの明らかな疾病」として取り扱うものとしている。
<1> 次に揚げるイ又はロの業務による明らかな過重負荷を発症前に受けたことが認められること。
イ 発症状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関連する出来事に限る。)に遭遇したこと。
ロ 日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと。
<2> 右「過重負荷」とは、脳心疾患の発症の基礎となる病態(血管病変等)をその自然的経過を超えて急激に著しく憎悪させうることが、医学経験則上認められる負荷をいい、ここでの自然経過とは、加齢、一般生活等において生体が受ける通常の要因による血管病変等をいう。
<3> 右「過重負荷」という概念は、因果関係を判断する対象となる業務が、基礎疾病等をその自然経過(日常生活、加齢等)を超えて著しく憎悪させることが医学経験則上認め得る程度のもの、すなわち、当該疾病を発生させる危険性を有するものを意味する。
また、本件認定基準に添付された「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定マニュアル」(以下「認定マニュアル」という。)では、右<1>のロの要件に該当するか否かの判断基準として、「特に過重な業務とは、当該労働者の通常の所定業務と比較して、特に過重な精神的、身体的負荷と客観的に認められる業務である。この客観的とは、医学的に血管病変等の急激で著しい憎悪の要因と認められることをいうものであるので、当該労働者のみならず、同僚労働者又は同種労働者にとっても、特に過重な精神的、身体的負荷と判断されるものである。」と規定し、かつ業務の過重性の判断に際しては、発症前一週間以内の業務について、業務量(労働時間、労働密度)、業務内容(作業形態、業務の難易度、責任の軽重等)、作業環境(暑熱、寒冷等)、発症前の身体の状況等の要因を総合的に判断することで足りるとしている。
右の本件認定基準は、医学専門家の各疾病についての最新の医学的知見を集約し、当該疾病と業務との関係を明示したものであって、その内容は、労働生理学の成果を含めた最高の医学的知見である。
2 争点2について
(一) 原告の主張
民事損害賠償訴訟において、労働契約上の安全配慮義務違反の債務不履行責任が問題とされる場合、右安全配慮義務違反がないことの立証責任は使用者側にある。しかして、前記1(一)(1)記載の労災補償制度の趣旨に照らせば、行政訴訟において労災補償給付の不支給処分の適法性が問題とされる場合の立証責任が原告にあるとすれば、民事損害賠償訴訟における水準以下となり極めて不合理である。
立証責任の分配は、各法条の解釈及び法条相互の関係から引き出される実体法上の問題であるところ、労災補償制度の目的及び労災補償を請求する申請人の公平及び紛争の迅速な解決への要請並びにその権利をなるべく主張しやすくすることが望ましいという政策目的等の諸事情からすれば、被告労基署長に相当因果関係がないことの立証責任があるというべきである。
(二) 被告らの主張
労災保険法上の保険給付は、災害補償等の事由が生じた場合に、補償を受けるべき労働者もしくは遺族等に対し、その請求に基づいて行うものであり(労災保険法一二条の八第二項)、これは、労災保険制度における労災認定の構造が、補償を受けるべき労働者等の請求の当否を判断することによってなされることを示している。また、本件疾病のような虚血性心疾患は、通常の医学的知見によっても、その発症自体が一般的に業務と関連性を有しているとはいえず、原則として業務に内在する危険の発現たる労働災害とはいえないところ、例外的に施行規則三五条別表第一の二第九号に該当する「業務に起因することの明らかな」場合にのみ労災保険給付の対象とされているのである。
したがって、虚血性心疾患の発症が業務上の事由によるものであることの主張、立証責任が原告側にあることは明らかである。
3 争点3について
(一) 原告の主張
(1) 亡靖夫の業務の過重性について
I 業務量等
亡靖夫は、本件基礎疾患により健康管理区分Yの指定を受け時間外労働が禁止されていたにもかかわらず、岡崎支店や出来町支店に勤務中、頻繁に残業を余儀なくされており、その肉体的・精神的負担は大きかった。また、亡靖夫にとっては顧客との折衝業務もかなりの精神的負担となっていた。
しかして、亡靖夫は、本店診療所に近く、かつ折衝業務のない本店事務管理部門への転勤を希望していたが、ローン業務センターの精算係に配属されることになった。右精算係の業務には、顧客との折衝業務が含まれているうえ、東海銀行は同センターを公庫からの手数料収入や顧客の確保が期待できる重要な部署と位置づけていたことから、その業務量は増大傾向にあり、亡靖夫の業務量が減少することはなかった。
II 最終審査業務の繁忙さ
精算係の人員は、昭和六二年一〇月当時、村上敏孝調査役(以下「村上調査役」という。)、河口浩治調査役(以下「河口調査役」という。)、亡靖夫のほか女性四名の合計七名であった。
このうち、最終審査業務は男性三人のみが担当していたが、昭和六二年一〇月当時、村上調査役は精算係の総括として多忙であり、また、河口調査役も同年七月に配属されたばかりで業務に不慣れであり、村上調査役や亡靖夫の指導を受けなければならない状況にあったため、亡靖夫の業務量は多かった。
また、最終審査業務は、審査を要する書類も極めて多種多様で、かつ間違いは許されない神経を使う業務であったうえに、その取扱件数も多い月には一三二二件に上るほどであった。
さらに、精算係での処理案件には、本店を経由せずに建設業者が直接必要書類を持ち込む場合も多かったが、これらの申込書類には過誤がある案件や急を要する案件が多く、かつ精算係で設定していた受付締切日(毎月一三日と二八日)間際に提出されるものも多かった。そして、公庫の締切日が毎月二〇日と五日であったため、毎月一三日から二〇日までと二八日から翌月五日までが特に繁忙であった。
そのため、精算係の男子行員は毎日のように残業しており、亡靖夫も、残業が禁止されていたにもかかわらず、通常でも三〇分前後、繁忙期には一時間半ないし一時間四五分の残業をしていた。
右のとおり、精算係は慢性的に人員不足の状態にあった。
III 追加担保管理業務の繁忙さ
ローン業務センターでは、追加担保管理業務を担当していたのは亡靖夫一名であった。追加担保管理業務は、その処理に通常でも一か月から三か月かかり、亡靖夫は、その間、追加担保権設定の進捗状況を常に把握しておく必要があった。
したがって、追加担保管理業務の負担度を毎月の処理件数だけで判断するのは適当でなく、むしろ手持件数によって判断すべきであるところ、昭和六二年七月以降同年九月までの手持件数は四九二件にも及んでいた。
さらに、追加担保管理業務は、書面の審査、照合も細かな事項についてまで詳細に行うことが必要とされていたため、亡靖夫は、長期間にわたり、極めて大きな肉体的、精神的負担を強いられることとなった。
また、追加担保管理業務は、東海銀行が業務委託していた司法書士を利用せずに、顧客が自分で抵当権設定登記を行うことを希望するような場合(以下、これを「イレギュラー案件」ともいう。)があり、このような案件については、亡靖夫が顧客と直接折衝し、抵当権設定登記手続に必要な各種の重要書類の受け渡しをする必要があり、極めて神経を使う、高度な折衝力、注意力を要する業務であった。
加えて、亡靖夫は、業務遂行上の悩みを相談する相手もなく、他の行員の支援も受けられない状態にあり、最終審査業務が繁忙であったことと相まって、追加担保管理業務は亡靖夫のストレスを増加させる要因になっていた。
IV 発症三か月前の過重な業務
<1> 最終審査業務
前記IIのとおり、精算係は、昭和六二年一〇月当時、河口調査役が同年七月に配属されたばかりで業務に不慣れであり、亡靖夫も河口調査役の指導をせざるを得ず、また、最終審査業務の取扱件数も同年八月が七二六件、同年九月が八六六件と増加していたうえ、亡靖夫が死亡した同年一〇月一四日は繁忙期に入って二日目であった。
<2> 追加担保管理業務
前記IIIのとおり、昭和六二年七月から同年九月までの三か月間の追加担保管理業務の処理案件は四九二件にも上り、亡靖夫の業務は繁忙を極めていた。
特に、名古屋市千種区内の猪子石土地区画整理組合による土地区画整理事業については、昭和六一年五月三日に換地処分が終了し、昭和六二年二月一三日に敷地所有者への所有権移転登記が行われ、これに伴って亡靖夫の追加担保管理業務も開始されたが、その件数は約七五件に上っていた。
また、犬山市長者町内の犬山長者町土地区画整理組合による土地区画整理事業についても、昭和六二年七月二八日に換地処分が終了し、同年九月一六日に敷地所有者への所有権移転登記が行われたことから、三二一件もの追加担保管理業務が一括して処理案件に加わった。しかも、同組合の案件については、亡靖夫自身が顧客に対して案内状を発送するなど、膨大な量の業務をこなさねばならなかった。
<3> 立垣のイレギュラー案件
立垣は、猪子石土地区画整理事業組合から保留地を購入したものであり、追加担保管理業務の対象となっていたが、東海銀行が業務委託していた司法書士を利用しての抵当権設定を望まず、自ら登記手続を行うことにしたため、亡靖夫が直接立垣と連絡をとって必要書類の授受をしなければならなくなった。
ところが、立垣は多忙であり、亡靖夫が勤務時間中はもとより夜間帰宅してからも何度も電話したが、なかなか連絡が取れず、また、立垣は、亡靖夫には何の落ち度もなかったにもかかわらず、東海銀行の追加担保管理業務の手続きの進め方に不満を持ち、東海銀行からの謝罪等がない限り亡靖夫の業務にも協力しないといった不合理、不誠実な態度をとったばかりか、当てつけとして既に追加の抵当権設定登記を済ませていたにもかかわらず、敢えてこれを亡靖夫に秘匿するといった異常な嫌がらせを行った。
そのため、立垣に対する追加担保管理業務は著しく遅延することとなり、亡靖夫は、昭和六二年夏ころ以降、立垣の案件を非常に気に病み、ストレスを蓄積させていた。
V 本件疾病の発症状況
亡靖夫は、昭和六二年一〇月一四日の朝、原告に対し、今日立垣に連絡が取れなかったら、直接同人のもとへ赴かねばならないと述べて出勤した。
そして、同日午後五時ころ、勤務を終了し、帰り支度を始めていたところ、立垣から電話が入り亡靖夫が応対した。しかし、立垣は従前と同様に、東海銀行からの書面が貰えない限り追加担保権設定登記手続はしない旨述べて、一方的に電話を切ってしまった。そこで、亡靖夫は、直ちに立垣に電話し、再度追加担保権設定登記手続を督促したところ、激昂した立垣から、「何度同じことを言わせるんだ。上司を出せ。」などと言われた直後に本件疾病を発症した。
VI 本件基礎疾患の進行状況
本件基礎疾患は中等症の心臓病であるが、亡靖夫が非常に健康に留意し摂生した生活を送っていたため、死亡する五年前からは症状は安定しており、その自然的経過として急死するような状態ではなかった。
VII まとめ
以上のとおり、亡靖夫は、昭和六二年当時、極めて繁忙で恒常的に残業のある最終審査業務を始め、顧客との折衝を要する大量の追加担保管理業務を一人でかかえ、本来禁止されていた時間外勤務や自宅での持帰残業を日常的に行わざるを得ない状況にあったほか、立垣についての追加担保管理業務が同人の理不尽な対応により遅延していたことを気に病んでおり、肉体的、精神的疲労が過度に蓄積した状態にあったところに、死亡当日、立垣との電話中に同人から一方的に電話を切られた挙げ句、再度かけ直した電話の中でも、「上司を出せ。」などと健常者の行員にとっても屈辱的といえる言葉を投げかけられるという極めて異常な状況に直面し、極度に興奮、緊張した結果、本件疾病を発症したものであるから、亡靖夫の死亡が業務に起因することは明らかである。
(2) 東海銀行の亡靖夫に対する安全配慮義務違反について
I 使用者の安全配慮義務違反により労働者の基礎疾患が憎悪して労働者が死亡した場合は、業務に内在する危険が現実化したことにより発症したものとして、業務と死亡との間に相当因果関係があるというべきである。
II 使用者は、労働者に対して、<1>労災職業病の発生を予防すべき義務、<2>労働者の健康障害の早期発見、治療義務、<3>適正労働配置義務を負っているところ、東海銀行は、その健康管理規定により、健康診断の結果に基いて職員を健康管理区分X(要休業)、Y(要注意)、Z(要観察)に区分し、必要な就業上の措置をとる旨定めている。
そして、亡靖夫は健康管理区分Yに指定され、時間外労働、当直勤務を禁止されていたにもかかわらず、岡崎支店、出来町支店においては時間外労働、当直勤務を余儀なくされ、ローン業務センターにおいても繁忙期には時間外労働をさせられていた。そのため、亡靖夫の本件基礎疾患は徐々に増悪していた。
また、東海銀行は、亡靖夫に緊急事態が発生した場合に備えて、予め亡靖夫の主治医である三浦旻医師(以下「三浦医師」という。)、本店診療所の医師及び亡靖夫らと十分な打合せをしておくべき義務があったのに、これを怠ったため、亡靖夫がワイシャツのポケットに常時携帯していたニトログリセリンを服用させることができず、亡靖夫の救命の機会を奪った。
また、東海銀行は、亡靖夫を顧客との折衝業務のない本部事務管理部規定部門に配転すべきであったのに、顧客との連絡折衝を必要とする追加担保管理業務に従事させたため、本件疾病を発症させたものである。
さらに、東海銀行は、精算係から昭和六二年八月に常川が退職し、新たに配属された河口調査役が未だ業務に不慣れであったことから、人員を増加して亡靖夫の業務が過大にならないようにすべきであったのに、これを怠った。
III 右のとおり、東海銀行は、亡靖夫の健康管理区分が要注意となっており、不整脈を発症する危険があることを知っていたのであるから、時間外勤務等を禁ずる義務、亡靖夫が心臓発作を発症した場合に備えて万全の保護ないし救護体制を整える義務、亡靖夫の労務負担をできるだけ軽減すべく適切な配置をしたり人員を増加する義務を負っていたにもかかわらず、これを怠り、その結果、本件基礎疾患を増悪させて本件疾病を発症させたものであるから、業務と本件疾病との間には相当因果関係があるというべきである。
(二) 被告らの主張
(1) 亡靖夫の業務過重性について
I 亡靖夫の職歴
亡靖夫は、出来町支店が三浦外科医院(以下「三浦外科」という。)への通院に便利であったため、本店診療所に近い本部勤務でなければ、出来町支店での慣れたローン折衝業務の継続を希望していたのであるから、亡靖夫が顧客との折衝業務に精神的負担を感じていたとは考えられない。
亡靖夫は、昭和五八年一一月以降、精算係において、最終審査業務及び追加担保管理業務を担当しており、本件疾病発症時までには約四年間もの経験を積んでいたのであるから、業務に習熟していたものと推認される。
II 最終審査業務
最終審査業務は、顧客から提出された各書類についての形式的な机上審査が主であり、その所要時間も一件あたり二〇分から三〇分程度であった。
また、審査書類に不備があった場合は、顧客に書類の補正を促すことになるが、この場合も亡靖夫らが直接顧客と折衝することはなく、各取扱店または建設業者を通じて変更、修正させることになっていた。そして、大手建設業者からの申込みについては、ローン業務センターの窓口で直接指導するのであるが、この指導は村上調査役が担当していた。
最終審査業務の遂行においては、いわゆる分担やノルマはなく、各自のペースで処理すればよいものとされており、亡靖夫の本件疾病発症前の処理量も精算係の処理件数のうちの一五パーセント程度であり、特に過重な負担となる処理量ではなかった。また、処理困難な事案については、村上調査役の指示を受けるか、同人が直接処理することになっており、亡靖夫が処理困難な事案を最後まで一人で処理することはなかった。さらに、亡靖夫以外の係員は業務量に応じて時間外勤務をしていたが、亡靖夫が時間外勤務をすることはほとんどなかった。
精算係における受付窓口での顧客との応対は、専ら女子行員か村上調査役が行っており、電話も亡靖夫が応対するのは簡単な内容のもののみであり、その回数も少なかった。
III 追加担保管理業務
追加担保管理業務は、追加の抵当権設定登記手続について、それが可能となった時期に顧客に対して文書で手続の案内をし、登記手続終了後、登記簿等の書類に記載上の誤りがないかを確認するという形式的、類型的な業務であり、ほとんどの案件は東海銀行が業務委託していた司法書士を通じてなされるため、一件あたりの照合にかかる時間も五分程度で済んでいた。
なお、追加担保管理業務のなかにはイレギュラー案件が時に発生することもあるが、その場合でも処理困難な事態になれば村上調査役に相談すればよいものとされていたから、亡靖夫に対する支援態勢は存在していた。
IV 亡靖夫の死亡前の勤務状況等
亡靖夫は、昭和六二年四月一日以降休日等はすべて消化しており、時間外勤務、休日出勤も全く行っていない。
亡靖夫は、昭和六二年一〇月一四日、午前中にセントラル病院で頭部CT検査を受けてから出勤し、通常業務を定時の五時で終了し、帰り支度をしていたところ、立垣からの電話に自席で応対中たまたま本件疾病を発症し死亡したものである。
V 亡靖夫の健康状態について
亡靖夫は、昭和四〇年一〇月、本件基礎疾患により健康管理区分Y(要注意)に指定され、時間外、休日、当直、宿泊出張の各勤務を禁止されることになったが、右指定はその後も軽減されることはなかった。
亡靖夫は、昭和四四年二月、大動脈人工弁置換手術を受けたが、その後も、脳塞栓症、一過性脳虚血発作、急性心筋梗塞、不整脈、狭心症を発症し、通院を継続して投薬治療を受けていたものの、心筋梗塞が原因と考えられる不整脈や狭心症発作が、職場、自宅を問わずしばしば発生し、具合の悪いときには一日に数回心臓発作を起こし、その都度ニトログリセリンあるいは抗不整脈薬を用いて、発作を止めているような状態であった。
VI まとめ
以上のとおり、亡靖夫の従事していた業務は過重負荷であったとは到底いえず、本件基礎疾患を著しく増悪させるようなものではなかった。
また、本件疾病発症直前に電話で話しをしていた立垣から、「上司の人を出しなさい。」といわれたとしても、かかる言動は、企業に勤務する者にとっては、少なからず耳にすることがあるものであるから、立垣の右発言は、亡靖夫の精神的な緊張、興奮を極度に高めるような異常な事態ではなく、本件疾病を発症させる危険を内在しているものとは到底いえない。
加えて、亡靖夫の心臓は、昭和六二年当時、悪性の不整脈が頻発するなど重篤な状態にあり、いつ突然死を起こしても不思議でない状況にあった。
よって、亡靖夫の死亡は、本件基礎疾患の自然的経過によるものであり、本件疾病が立垣との電話中に発症したという事実は、偶然の事態にすぎないから、亡靖夫の従事していた業務と同人の死亡との間には、そもそも条件関係がなく、ましてや相当因果関係は存在しない。
(2) 東海銀行の亡靖夫に対する安全配慮義務違反について
東海銀行は、法律上要求されている一般的な健康管理を行っていたにとどまらず、亡靖夫に対する個別的な配慮として、本店診療所に近接する勤務場所に配置し、本店診療所において定期的に健康診断を行い、三浦医師と連絡協力して亡靖夫の健康管理を行うとともに、職場においては業務の処理状況を亡靖夫の自主管理に任せ、時間外勤務をさせないようにしていた。
また、精算係では、亡靖夫の容態が悪化した場合に備えて、三浦外科と亡靖夫の自宅の電話番号を誰にでもわかるように表示していた。
右のとおり、東海銀行の亡靖夫に対する健康管理体制及び具体的な健康管理は十分なものであったから、東海銀行に安全配慮義務違反は存在しない。
4 争点4について
(一) 原告の主張
亡靖夫は、本件疾病を発症してから二〇分以上は生存していたから、即座に救命措置を受けていれば死なずにすんだ可能性があった。
そして、東海銀行は、ローン業務センターの向かいのビル内に本店診療所を設けていたから、亡靖夫は、所定勤務時間内であれば、突発的に心臓発作が起こっても、右本店診療所の医師による応急措置を受けることができたのに、本来禁止されているはずの時間外勤務中に本件疾病が発症したため、本店診療所の医師による応急措置を受けることができず、救命の機会を逸してしまった。
また、亡靖夫は、急性の心臓発作に備えて常時ワイシャツの胸ポケットに治療薬を携帯していたが、前記のとおり、立垣からの電話に応対中であったため、右治療薬を服用することができなかった。
また、本件疾病が発症したのは午後五時一五分ころであるところ、精算係の同僚が消防署に電話したのは午後五時三九分であったから、亡靖夫は、消防署への通報が遅れたことにより救命の機会を失った。
したがって、亡靖夫は、違法な時間外勤務を強いられたこと、電話中であったこと、消防署への連絡が遅れたことによって、本来受けられるべき適切な治療を受ける機会を奪われたものであるから、亡靖夫の死亡は、業務に内在する危険が現実化したものとして、業務起因性があるというべきである。
(二) 被告らの主張
亡靖夫は、本件疾病発症後短時間で死亡しており、その態様は激烈なものであったから、仮に本件疾病が業務時間内に発症したとしても、救命の可能性はなかったと判断される。
また、ローン業務センターは名古屋市の中心部に位置し、必要であれば、本店診療所に限らず付近の医療機関による応急措置が受けられる立地条件にあり、現に、本件疾病発症後まもなく、通報を受けて駆けつけた救急隊員により人工呼吸、心臓マッサージ等が施されており、速やか、かつ適切な応急措置はとられていた。
また、亡靖夫は、立垣と話し中の受話器を村上調査役に渡してから、医師を呼んで欲しい旨述べているが、自ら薬を取り出すことも、その携帯場所を指示することもできなかったのであり、むしろ、本件疾病の発作の程度は、電話中であろうとなかろうと、亡靖夫自身薬を服用することができないほど激烈なものであったと認められる。
よって、亡靖夫の業務が、亡靖夫の治療の機会を奪ったということはできない。
5 争点5について
(一) 原告の主張
(1) 被告審査官は、本件決定を行うに当たって、本件疾病が業務に起因しない旨の判断をするにつき、本件認定基準を誤って適用した。
よって、被告審査官には、業務上外認定に関する本件認定基準の適用を誤った違法がある。
(2) 被告審査官は、原告の再三の請求にもかかわらず、被告労基署長から提出された意見書、資料等(以下「審査関係書類等」という。)を一切原告に開示せず、本件処分に対する原告の反論、反証を不可能ならしめ、迅速かつ公正な審理を受ける機会を奪った。
被告審査官が、かように審査関係書類等を原告に開示しなかったことは、被災労働者の迅速かつ公正な保護を目的とする労災保険法一条に違反する。
(二) 被告審査官の主張
すべて争う。
第三争点に対する判断
一 争点1について
1(一) 労基法及び労災保険法に規定されている労災補償制度の趣旨は、労働災害が発生する危険性を有する業務に従事する労働者について、右業務に通常内在ないし随伴する危険性が発現し労働災害が生じた場合に、使用者の過失の有無にかかわらず被災労働者の損害を填補するとともに、被災労働者あるいはその遺族等の生活を保障しようとするものであると解するのが相当である。
そして、労基法及び労災保険法が、保険給付の要件として、労基法七九条、八〇条等において「業務上死亡した」、労災保険法一条において「業務上の事由による死亡」と各規定するほか、何ら特別の要件を規定していないことからすれば、業務と傷病との間に業務起因性があるというためには、当該業務により通常傷病等の結果発生の危険性が認められること、すなわち業務と傷病との間に相当因果関係が認められることが必要であり、かつこれをもって足りると解するのが相当であって(最高裁昭和五一年一一月一二日判決参照)、この理は、施行規則三五条別表第一の二第九号に定める「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定、すなわち非災害性の虚血性心疾患等の業務起因性の判断においても、なんら異なるところはないと解するのが相当である。
(二) この点、原告は、労基法及び労災保険法上の業務起因性の判断基準としては、業務と結果発生との間に合理的関連性があれば足りる旨主張するが、業務上外の判断基準は、右説示のとおり合理的関連性があるだけでは足りず、相当因果関係があることまで必要とするというべきである。
(三) また、被告らは、右施行規則三五条別表第一の二第九号に定める「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定に関しては、本件認定基準に該当する事実の存在をもって、相当因果関係の存在を肯定することとなっている旨主張する。
しかし、本件認定基準及び認定マニュアルは、いわゆる行政通達であり、下部行政機関に対する命令にすぎないから、本件認定基準及び認定マニュアルが最新の医学的、専門的知見の集積であり、本件疾病のような虚血性心疾患に関する相当因果関係の有無を判断するに当たって、その提示する基準が参考となることは否定できないとしても、その示した基準自体が相当因果関係の存否の判断を直接拘束するものと解することができないことは明らかである。
なお、本件認定基準(いわゆる昭和六二年通達)中の「業務に起因することの明らかなものに係る認定基準」については、労働省労働基準局長平成七年二月一日基発第三八号通達(いわゆる平成七年通達)によって新たな認定基準が定められたことにより廃止されている(<証拠略>)。
2 しかして、急性心不全等の被災害性の虚血性心疾患の発症については、もとより被災労働者の従事していた業務と直接関係のない基礎疾患や喫煙、飲酒等の日常生活上の危険因子が複合的、相乗的に影響しあって発症に至ることが多いことに鑑みれば、業務と疾病との間に相当因果関係を肯定するためには、単に虚血性心疾患が業務遂行中に発症したとか、あるいは業務が虚血性心疾患発症の一つのきっかけを作ったなどという一事のみでは足りず、当該業務に通常内在ないし随伴する危険が顕在化したと認められることが必要であると解すべきである。
ところで、<証拠略>によれば、肉体的、精神的緊張等に基づくストレスないし疲労(以下「ストレス等」という。)の蓄積が、虚血性心疾患を誘発あるいは増悪させる危険因子の一つであり、殊に虚血性心疾患の基礎疾病を有する者に対しては一層悪影響を与える可能性があることが認められるものの、ストレス等の発生要因は種々であり、業務のみならず業務外の事情も考えられるほか、<証拠略>によれば、虚血性心疾患等の発生機序については、医学上も未だ十分に解明されていない分野であり、ストレス等の発生及びその受容の程度並びに身体に与える影響についても個人差が存在し、現在の医学水準からはストレス等の蓄積を客観的定量的に数値化することは困難であることが認められることからすると、現在の医学的知見によっては、ストレス等の蓄積と虚血性心疾患との因果関係を医学的に明らかにすることは難しいものといわざるを得ない。
しかしながら、訴訟上の因果関係については、かかる医学的な証明まで必要とされるものではなく、論理法則、経験則に照らしての歴史的証明で足りるのであるから、訴訟上の因果関係を肯定するにおいては、その事実的側面において、虚血性心疾患等の発生機序が医学的に余すところなく証明されなければならないとするのは相当でなく、また、ストレス等の蓄積が客観的定量的に把握できない限り訴訟上の因果関係を肯定できないと解することも相当でない。
してみれば、業務と虚血性心疾患発症との間に相当因果関係があるといえるかどうかを判断するに当たっては、前記労災補償制度の趣旨にかんがみ、当該被災労働者の基礎疾患の内容、程度、発症前の業務の状況、生活状況等の諸事情を具体的かつ全体的に考察し、これを当該被災労働者の疾病発生原因についての医学的知見に照らし、社会通念上、当該業務が過重負荷と認められる態様のものであり、これが被災労働者の基礎疾患を自然的経過を超えて急激に増悪させ、それにより死亡の結果を招いたと認められる場合に、業務と死亡との相当因果関係を肯定するのが相当であると解すべきである。
二 争点2について
業務災害に関する遺族補償給付及び葬祭料は、労基法七九条、八〇条に規定する事由が生じた場合に、補償を受けようとする遺族又は葬祭を行う者の請求に基づいて行われるところ(労災保険法一二条の八第二項)、右請求は、労働基準監督署長に対し、請求を裏付けるに足りる所定の事項を記載した請求書に、これを証明することができる書面を添付してしなければならないとされている(労災保険法施行規則一三条一項、二項)ことからすると、遺族補償給付及び葬祭料を受けようとする遺族あるいは葬祭を行う者は、右請求にかかる各給付について、自己に受給資格のあることを証明する責任があるというべきであって、右遺族ないし葬祭を行う者が遺族補償給付あるいは葬祭料を請求をするには、「労働者が業務上死亡した」(労基法七九条、八〇条)ことを証明しなければならないものと解するのが相当である。
そうすると、遺族あるいは葬祭を行う者は、労働基準監督署長が、遺族補償給付及び葬祭料の請求に対し、業務起因性を有しないことをもって不支給決定をしたときに、その効力を訴訟上争う場合においても、遺族あるいは葬祭を行う者の側で、当該死亡が業務起因性を有することを主張・立証する必要があるというべきである。
もっとも、訴訟上の因果関係の立証は、自然科学的な証明ではなく、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることで足り(最高裁昭和五〇年一〇月二四日判決・民集二九巻九号一四一七頁参照)、また、医学的に厳密な証明まで要求されるとすると、前記説示のとおりストレス等の蓄積と虚血性心疾患の発生機序について、医学的にも十分に解明されていない現状においては、原告の業務起因性の立証につき著しい困難を強いる結果となる。
してみれば、原告は、亡靖夫の業務と死亡との相当因果関係を立証するにおいても、亡靖夫の基礎疾患を自然的経過を超えて急激に増悪させたと認めるに足りる過重な業務の存在を立証すれば足り、被告らから、本件基礎疾患が重篤な状態にあったこと、あるいは業務外の肉体的、精神的負荷等が原因となって本件疾病が発症したことについて特段の反証がない限り、本件疾病は労務に通常内在ないし随伴する危険性が顕在化したものと認められ、業務と本件疾病の発症との間に相当因果関係を肯定することができるものと解するのが相当である。
三 争点3について
第二の一に摘示した「争いのない事実等」及び証拠<略>によれば、以下の事実が認められ(<略>)、<証拠略>のうち右認定に反する部分は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
1 精算係の構成と担当職務(<証拠略>)
精算係は、昭和六二年一〇月当時、係総括であった村上調査役、河口調査役及び亡靖夫の男子行員三名(以下「亡靖夫ら」ともいう。)並びに小川真由美、三國留美子、入内澤清美、玉谷明美の女子行員四名により構成されていた。
このうち、最終審査業務は、亡靖夫ら(ただし、河口調査役は昭和六二年七月に着任した者であり、同月及び同年八月は、同調査役の前任者であった常川も在籍していたため、男子行員は四名であった。)が共同して担当しており、その他、村上調査役は係の総括として業務全般の管理及び毎月の処理案件全部の抵当権設定登記の確認並びに支店担当者の研修、指導等を、河口調査役は最終資金交付後の毎月の処理案件全部の最終審査を、亡靖夫は追加担保管理業務を各個に担当していた。
2 亡靖夫の従事していた業務について(<証拠略>)
(一) 最終審査業務
(1) 最終審査業務の処理体制(<証拠略>)
最終回資金交付を行うについては、通常は各支店の融資窓口担当者が、公庫から交付されている「住宅金融公庫(竣工)チェックシート兼送付書」と題する書面に基づき、融資決定をする上で必要な書類(以下「審査書類」という。)を揃えて精算係に送付し、三國留美子と入内澤清美が最終審査に必要とされる書面に入力コード番号の記入等の機械的な受付手続をしたのち、一件書類を籠に入れておくと、亡靖夫らが、自己の業務の進行状況に応じて、一件書類を適宜籠から取り出して記載内容等について確認し、玉谷明美、小川真由美が、右確認後の案件につき精算金額の計算、台帳記入、権利証の返却等の処理をすることになっていた。
しかして、亡靖夫らは、右審査書類につき、建物の所在地、所有者及び土地所有者の確認、連帯保証人の有無、金銭消費貸借抵当権設定契約書等についての記載漏れの有無、記載内容の過誤等の不備の有無及び印鑑登録証明書、住民票、その他必要書類の有無を各確認することになっていたが、右審査業務は形式的、類型的な机上作業であり、通常一件当たり約二〇分から三〇分程度で終了するものであった。
また、亡靖夫らが各自受け持った案件は、原則として当該案件の手続終了まで、その者の担当として処理されることになっていたが、その処理件数や分担等について、いわゆるノルマは設定されておらず、各自が自分のペースで処理すればよいことになっていた。なお、処理困難な案件については、村上調査役が引き継ぐか、村上調査役と相談して処理することとなっていたが、かかる案件は一か月に数件あるかないかであった。
審査書類は、右のとおり通常は各支店を経由して送付されることとされていたが、分譲住宅、分譲マンション等の建設業者が物件の買受客の融資申込みの代行を行うような場合に、早期に最終回資金交付を受けようとして、本来本店営業部の融資担当を経由して関係書類を提出すべきところを、直接精算係に持参することもあり、この割合は、精算係が扱う全審査件数のおよそ三割程度に上っていた。もっとも、精算係に直接書類を提出する建設業者は特定されており、また、建設業者側も融資業務に精通した経理担当者が対応するのが通常であったから、トラブルが発生することはなかった。
(2) 審査書類の補正業務等(<証拠略>)
亡靖夫らが審査書類に不備を発見した場合は、顧客に補正を求めることになっていたが、日付漏れ、住所の番地漏れ等の軽易な不備については精算係で直接補正し、重要な不備があった場合に限り顧客に補正を促していた。
しかして、顧客に補正を促さなければならない程の重要な不備があるのは、およそ一〇件に一件程度であり、また、右補正の指導も、申込みを受付けた各支店の融資担当者、あるいは個人顧客の公庫融資申込みを代行している建設業者の経理担当者に対して行うものであり、亡靖夫らが顧客個人に対して直接補正を指示することはなかった。
(3) 最終審査業務の期限等(<証拠略>)
公庫は、最終回資金交付を毎月一〇日と二五日に行うこととしていた関係で、精算係に対しても、右一〇日交付分については前月の二〇日、二五日交付分については同月の五日を、公庫側へのデータ入力の締切日と指定していた。そのため、精算係も、右データ入力までの最終審査業務に余裕をもたせるため、独自に一〇日交付分については前月の一三日を、二五日交付分については前月の二八日を、それぞれ受付の締切日としており、右締切日以降に提出された案件については、余力があれば処理するという体制を取っていた。
したがって、精算係では、右の一三日と二八日の締切日からデータ入力の締切日である二〇日と翌月五日までの各一週間が繁忙期であった。
(4) 最終審査業務の取扱件数(<証拠略>)
最終審査の申請件数は、多い月には一日三〇件ほどとなり、前記(3)の受付締切日前後には、審査書類の送付件数及び建設業者からの前記直接申込みの件数も多くなり、時として七、八〇件に上ることもあった。また、年間の申請件数は、年末及び三月ないし五月ころは増加し、七月、八月は少なくなる傾向にあった。
しかして、昭和六二年七月から同年一〇月一四日までの精算係における最終審査業務の取扱件数は、左記のとおりである(ただし、かっこ内は、全取扱件数に占める構成比を示す。)。
記
昭和六二年七月
村上調査役 四〇五件(四七・五パーセント)
河口調査役 一〇三件(一二・一パーセント)なお、同人は当月着任
常川 二一五件(二五・二パーセント)
亡靖夫 一三〇件(一五・二パーセント)
合計八五三件
昭和六二年八月
村上調査役 二三七件(三二・七パーセント)
河口調査役 二四七件(三四・〇パーセント)
常川 九五件(一三・一パーセント)なお、同人は当月退職
亡靖夫 一四七件(二〇・二パーセント)
合計七二六件
昭和六二年九月
村上調査役 四一〇件(四七・三パーセント)
河口調査役 三〇四件(三五・一パーセント)
亡靖夫 一五二件(一七・六パーセント)
合計八六六件
昭和六二年九月一四日から同年一〇月一四日まで
村上調査役 三八七件(四五・五パーセント)
河口調査役 三〇八件(三六・二パーセント)
亡靖夫 一五五件(一八・三パーセント)
合計八五〇件
(5) 亡靖夫の最終審査業務の遂行状況等(<証拠略>)
亡靖夫は、注意深く業務を遂行するように心がけており、処理も正確であったが、反面一件あたりの処理にかける時間も長く、村上調査役からも自分のペースでやってくれればよいと言われていたこともあって、処理件数も前記(4)のとおり、村上、河口両調査役の約半分程度で、月一五〇件前後と一定していた。
なお、亡靖夫の死亡前一か月間(昭和六二年九月一四日から同年一〇月一四日まで)の亡靖夫らの最終審査業務の処理状況については、別紙一「最終審査業務処理状況一覧表」<略>記載のとおりである。
(6) 顧客との対応等(<証拠略>)
ローン業務センターの業務は、午前八時四五分から午後五時までであるが、窓口の開設時間は、書類整理の都合上、午前九時から午後三時までとされていた。もっとも、前記2(一)(3)記載のとおり、公庫の資金交付日が定められている関係で、午後三時以降に窓口を訪れる業者等もいたが、その頻度は少なかった。
また、精算係の窓口を訪れる者は、司法書士あるいは東海銀行と取引のある特定の建設業者が主であり、その人数も一日一〇名から一五名程度で、司法書士の対応は女子行員が、建設業者に対する書類不備等の指導は主として村上調査役が担当していた。
また、精算係には、各支店担当者や建設業者から書類作成に関する問い合わせの電話もままあったが、その八ないし九割は村上調査役が対応しており、亡靖夫や河口調査役が対応することもあったが、難しい内容のものについては村上調査役宛にかけ直してもらうようにしていた。
(二) 追加担保管理業務
(1) 追加担保管理業務の処理体制等(<証拠略>)
追加担保管理業務は、前記1のとおり亡靖夫が一人で担当していたが、その事務処理が完了するのに通常は一か月ないし三か月を要していた。
しかるところ、精算係では、昭和五〇年代後半ころより、事務の効率化の見地から、実際の追加担保の設定事務を岩本年弘司法書士(以下「岩本司法書士」という。)に業務委託しており、岩本司法書士において、区画整理事業の終了時期ないし換地処分時期の調査、追加担保の提供を要する顧客への追加担保管理業務開始の通知及び権利証の代理受領の要請通知、顧客への抵当権設定登記手続に必要な書類の送付要請、実際の抵当権設定登記手続等の、追加担保管理業務のほぼ全般を処理してもらうことになっていた。そのため、亡靖夫が現実に行う事務は、追加担保を必要とする顧客を保留地等追加担保予定者管理台帳に記載して管理すること、追加の抵当権設定登記後に司法書士から提出された登記簿謄本及び担保差入書等の書面の審査が主たるものとなっており、右の書面審査等に要する時間は一件当たり五分程度であった。
他方、顧客が岩本司法書士に依頼せず自分で登記手続を行うことを希望したような場合は、亡靖夫が担保差入書等の必要書類の提出を直接顧客に促したり、抵当権設定のための原因証書の原本、公庫からの包括委任状、資格抄本等の登記手続書類を各支店の窓口を通じて顧客に貸与することになっていた。しかして、これらの書類は重要書類であること、あるいは資格抄本については他の用途にも転用できたことから、精算係では、顧客に対し、およそ半年を目処に登記手続を完了し書類の返還を要請することとしていた。もっとも、追加担保の設定につき顧客の協力がなかなか得られないような場合は、処理に長期間を要する場合もあったが、処理困難な案件については村上調査役に適宜相談して処理することになっていた。
なお、亡靖夫の最終審査業務と追加担保管理業務の負担割合は九対一程度であった。
(2) 追加担保管理業務の取扱件数(<証拠略>)
昭和六二年四月以降、多数の土地区画整理事業において換地処分が終了し、特に犬山長者町土地区画整理事業においては、同年九月に三二一件の処理案件が発生した。そして、亡靖夫は、右案件について顧客に対し、個別に追加担保設定手続の案内状を発送した。また、右案件の中には、自分で登記手続をすることを希望する顧客もあった。
ところで、昭和六二年四月から昭和六三年一月までの抵当権設定登記の登記済証等の確認がなされた件数は、別紙二「登記済証確認日一覧表」<略>のとおりであり(ただし、昭和六二年一一月以降は、亡靖夫の後任者において確認されたものである。)、亡靖夫は、昭和六二年七月には六件、同年八月には三一件、同年九月には五八件を処理していたが、右八月と九月は、豊田市五ヶ丘の住宅都市整備公団による分譲分が大半であり、これらについては同公団から一括して登記済証を受領していた。
(3) 立垣に対する追加担保管理業務(<証拠略>)
ニチモプレハブ株式会社は、昭和五〇年一〇月一六日、猪子石土地区画整理事業の保留地上に八階建ての分譲マンションを建築し、公庫融資を希望する分譲申込者を募った上で、一括して東海銀行に公庫融資手続を依頼した。そこで、ローン業務センターは、右申込者との間で金銭消費貸借契約を締結し、敷地部分に対しては換地処分後に追加担保を設定することを条件として最終回資金交付を行った。その後、右敷地について換地処分がなされ、昭和六二年二月一三日、マンション購入者に対し一斉に持分一部移転登記が行われ、同年三月ころから公庫融資利用者に対する追加担保管理業務が開始された。
立垣は、右追加担保管理業務の対象者の一人であったが、昭和六二年三月ころ、岩本司法書士から抵当権設定に関する案内書を郵送された。しかし、右案内書の文面が東海銀行の指定する司法書士の利用を強制するかの如きものであったため、立垣は不快感を覚えこれを放置した。そのため、亡靖夫が立垣に連絡をとると、立垣は自分で登記手続をする旨述べた。なお、その際、立垣は、前記案内状に対する不満から、亡靖夫に対し、まず東海銀行から登記手続への協力を求める旨の依頼書等を交付すべきである旨告げて、東海銀行の対応に対し苦情を述べた。
そこで、亡靖夫は、昭和六二年八月七日、抵当権設定登記手続に必要な登記原因証書原本等の送付手続をとり、立垣は、同月一四日に東海銀行星ヶ丘支店猪子石出張所で右各書類を受領し、同年九月一日、知り合いの司法書士に委任して抵当権設定登記を済ませたが、前記不満が収まらず、亡靖夫が登記手続の速やかな実行を要請するたびに、東海銀行からの右登記手続についての依頼書等を要求し、抵当権の設定登記手続が未了であるかのように返答していた。
そのため、亡靖夫は、立垣の抵当権設定登記手続が遅れていることを村上調査役に報告するとともに、一週間に一度位の割合で立垣に催促していた。なお、立垣は当時多忙でなかなか連絡がとれなかったため、亡靖夫は、午後八時ころに自宅から電話をかけるようなこともあった。
3 亡靖夫の就業状況等
(一) 精算係の労働条件(<証拠略>)
亡靖夫が死亡した当時の精算係の労働時間は、始業時間が午前八時四五分、終業時間は、平日は午後五時、土曜日は午後二時一五分であり、そのうち、平日については、午前一一時三〇分から午後零時三〇分又は午後零時三〇分から午後一時三〇分までの一時間が、土曜日については、午前一一時三〇分から午後零時一五分又は午後零時一五分から午後一時までの四五分間がそれぞれ休憩時間に当てられており、実労働時間は、平日が七時間一五分、土曜日が四時間四五分となっていた。
休日は、毎週日曜日、祝祭日及び毎月第二、第三土曜日とされていたほか、年次有給休暇が毎年九月一日から翌年八月末日までを一営業年度として二〇日間取得でき、さらに、毎年一月二日、同月三日及び交代制により一営業年度に六回(ただし、二か月に一回を限度とする。)の特別休日(週休)が付与されることとなっていた。
(二) 亡靖夫の就業状況(<証拠略>)
亡靖夫は、健康管理区分Yに指定されて時間外勤務を禁止されていたが、岡崎支店、出来町支店に勤務中は、ときどき時間外勤務をしており、特別の事情があったときは午後八時まで残業していたときもあった。
そこで、亡靖夫は、健康上の理由から、昭和五八年七月ころ、顧客との直接折衝がなく、かつ本店診療所を利用し易い本部営業店指導部門(ローン関係あるいは事務管理)への転勤を希望したところ、同年一一月二五日付けで、ローン業務センターへの転勤を命じられた。右転勤は、本店診療所に近く、顧客との折衝も少なく、かつ出来町支店でのローン担当窓口の経験を生かすためのものであり、亡靖夫は、転勤直後の数か月間は新しい仕事を覚えるために努力を要したが、その後死亡するまでの約四年間は同じ仕事に従事していた。
しかして、亡靖夫は、精算係に配属されてからはほとんど時間外勤務をすることはなく、午後五時ころ(ただし、仕事の都合で午後五時を多少過ぎることもある。)に業務を終了し、片づけ等をして一息入れた後、午後五時一五分ころには帰路につき、二週間に一回の割合で三浦外科に通ったり、たまに自宅近くの書店や喫茶店に立ち寄るなどして帰宅時間が遅くなることはあったものの、ほぼ六時前後には帰宅していた。
また、亡靖夫は、昭和六二年四月一日から本件疾病発症時までの間、病欠等の欠勤はなかったが、休日及び特別休日はすべて取得していた。
さらに、亡靖夫は、年次有給休暇を昭和六一年九月から同六二年三月末日までの七か月間に一〇日、昭和六二年四月以降は、四月と七月に各一回、六月と八月に各二回使用し、週休については、昭和六二年五月二五日、同年七月七日、同年九月七日に取得している。
(三) 精算係の他の係員らの就業状況(<証拠略>)
精算係の他の係員らは、当日の朝に、前日までの仕事の進行状況をみておおよその残業時間を打ち合わせた上で、当日の残業を行うようにしていた。同人らの昭和六二年七月以降の残業時間は、別紙三の「亡靖夫以外の係員の残業時間一覧表」<略>記載のとおりである(なお、休日出勤は全員行っていない。)。
4 亡靖夫の健康状態等(<証拠略>)
亡靖夫は、東海銀行に入行する際の健康診断で大動脈弁狭窄兼閉鎖不全症と診断されたため、昭和四四年二月に名古屋第一赤十字病院に入院し、三浦医師の執刀により大動脈弁を人工弁(スターエドワード弁)に置換する手術を受けた。亡靖夫は、同年九月一日に岡崎支店に復帰したものの、昭和四五年六月には脳塞栓症、昭和四六年六月、七月、一二月には一過性脳虚血発作、昭和四八年四月一六日には急性心筋梗塞(前壁)、昭和五一年九月には急性心筋梗塞の再発作、昭和五五年四月には脳塞栓症の再発作、昭和五八年以降は狭心症症状を発症したほか、昭和五五年四月からは不整脈の多発が認められるようになっていた(なお、不整脈〔心室期外収縮〕は、人工弁置換手術をする以前から発生していた。)。
亡靖夫は、この間、三浦医師が開設した三浦医院に、二週間に一回の割合で通院して心電図検査等の診察を受けるとともに、主として狭心痛用の頓服役であるニトログリセリン、血栓防止のための抗血液凝固剤であるワーファリン、不整脈防止のためのリスモダンの三種類の薬剤を投与されていた。また、亡靖夫は、本店診療所にも月一回通院し、東海銀行の産業医であった水野嘉子医師あるいは平田幸夫医師から心電図検査、問診等を受けていた。
しかして、亡靖夫は、精算係に配属になってからも、職場でときどき心臓発作を起こし、椅子に座ったまま静かにしていれば収まる場合もあれば、三か月に一、二回程度の割合で、ニトログリセリンを服用し事務室の脇にある応接ソファーか別室の休憩室で、通常は三〇分ないし一時間程度、ひどい時には三時間位横になって休むことがあり、時には同僚が付き添って帰宅したり三浦外科へ赴くこともあった。なお、亡靖夫は、自宅にいても心臓発作をたびたび発症しており、具合の悪いときは一日に何回も発症し、その都度、ニトログリセリンを服用して安静を保つようにしていた。また、亡靖夫は、昭和六二年三月一二日午前八時三五分ころ、約一〇分間持続するめまいを感じたが、意識喪失には至らなかった(<証拠略>)。
以上のような健康状態であったことから、亡靖夫は、昭和四〇年一〇月以降死亡するまで健康管理区分Yに指定され、時間外、休日、当直、宿泊出張の各勤務が禁止されていたが、昭和四四年から同四六年ころの間に断続的に健康管理区分Xに指定された以外は、通常の勤務時間での就労を行っていた。
また、加藤所長も、亡靖夫については、健康保持のため就業時間中の本店診療所への通院を認めていたほか、担当職種を替えないよう、あるいは時間外勤務をさせないように特に留意しており、村上調査役も、亡靖夫に対し、仕事は本人のペースで行えばよいと述べていた。さらに、亡靖夫が健康管理区分Yに指定されていることは、精算係の係員は皆知っており、精算係の卓上電話には、主治医である三浦医師及び亡靖夫の自宅の電話番号が記載されたメモが貼付してあり、緊急の場合にはすぐに連絡が取れるような体制がとられていた。
なお、亡靖夫は、村上調査役らに対して自分から健康状態や薬の携帯場所等を話したことはなかったところ、村上調査役らは、亡靖夫のプライバシーに配慮して、あえてこれを聞き出そうとはしなかった。
5 療養状況等
(一) 亡靖夫の療養態度(<証拠略>)
亡靖夫は、意識してゆとりのある生活を心がけており、喫煙は昭和五一年末ころに止め、飲酒も夏季に水分補給のために梅酒の水割りを少々飲む程度で、職場での旅行や懇親会等の酒席にもほとんど参加せず、参加しても少々のビールを口にするだけであった。また、亡靖夫は、食事内容や交通事故に注意していたほか、翌日の気温等を常にテレビの天気予報番組で確認し、気温が低いときには厚着をして出勤するなど風邪に罹患しないよう注意し、また、急激な温度変化も身体に良くないといって風呂もぬるめの湯に入るようにするなど、体調の維持には神経を使っていた。
また、亡靖夫は、三浦医師から渡された薬も、その日に服用すべき分を予め仕分けして職場にも携行し、毎日欠かさず飲んでいた。
なお、昭和六二年一〇月五日当時の亡靖夫の身長は一六二センチメートル、体重は五〇キログラム、血圧は上が九〇、下が六〇であった。
(二) 東海銀行の対応(<証拠略>)
東海銀行は、行員の健康保持のために健康管理センター(本店診療所)を設置し、内科、歯科、眼科、整形外科、精神科の五つの診療科目を開設し、行員が随時診療を受けられる体制を整えており、亡靖夫も、本店診療所において年四回程度行われる東海銀行の要管理者検診を受診し、問診、心電図検査等の健康診断を受けていた。
なお、本店診療所は、亡靖夫の勤務するビルの近くにあり、その距離はゆっくり歩いても三分三〇秒である。
6 死亡当日の状況(<証拠略>)
亡靖夫は、昭和六二年一〇月一四日の朝、原告に対し、気に掛かっている案件があるので今日連絡がとれなかったら自分で出かけて行かなくてはならない旨を告げ、猪子石第二コーポラスの立垣の自宅を訪れなければならない事態になるかもしれないことを示唆しながら(なお、亡靖夫は同日三浦外科に行く予定であり、立垣の自宅と三浦外科は徒歩で一〇分位の距離にある。)、午前八時一五分ころに自宅を出た。亡靖夫は、その足でローン業務センターの付近にあるセントラル病院に赴いて頭部CT検査を受けたのち、午前一一時ころ、ローン業務センターに出勤した。その後、亡靖夫は、普段どおり午後五時まで通常業務を遂行したのち、終業のチャイムとほぼ同時に勤務を終了して机上の片づけを始め、午後五時一〇分ころには帰り支度を終えた。
しかして、そのころ、立垣から電話が入ったため、亡靖夫が抵当権設定登記手続の催促をすると、立垣は、これまでと同様にまず東海銀行からの依頼書等が欲しい旨述べて、勝手に電話を切ってしまった。そこで、亡靖夫は、立垣の元へ電話をかけ直し、再度抵当権設定登記手続を催促した。その際、亡靖夫は、特に大きな声を出すこともなく、普段通り電話の受け答えをしていた。しかし、立垣は、前述のとおり東海銀行に対して不満を抱いていたため、亡靖夫に対し、強い口調で、「何回同じことを言わせるのか。上司の人を出しなさい。」などと述べた。
このとき、村上調査役は自席で別の電話に出ていたが、亡靖夫の受話器を取ってくれという気配で横を向くと、その途端に亡靖夫は机に俯せになった。そこで、河口調査役が直ちに亡靖夫の机に赴くと、亡靖夫が、横にならせて欲しい、医者を呼んで欲しいと述べたので、亡靖夫を事務室内のソファーに寝かせたところ、亡靖夫が手を胸にもっていく仕草をしたため、胸元を緩めて欲しいものと思い、亡靖夫のネクタイをはずした。また、小川真由美が三浦外科に電話したところ、三浦医師は、近くの医師に診てもらうようにと指示した。しかし、村上調査役は、亡靖夫の顔が紫色にふくれあがりいつもと全然違いとても連れだすことはできないと考えて、再度三浦外科に電話し、三浦医師から、ニトログリセリンを飲ませるようにとの指示を受けた。そのため、村上、河口両調査役及び入内澤の三名が、手分けして亡靖夫の机や鞄あるいは背広のポケットの中を探したが薬を見つけ出すことはできなかった。なお、同人らは、亡靖夫のワイシャツのポケットまでは探さなかった。そして、玉谷明美が、午後五時三九分ころに名古屋市中消防署に通報し、同四二分ころに救急隊員が到着したが、そのころには、亡靖夫は瞳孔もほとんど散大している状態であり、救急隊員は、しばらく気道確保、人工呼吸、心臓マッサージを継続したものの、回復の予兆はなく、同日午後六時二〇分、江口泰輔医師により死亡が確認された。
三 医師の意見等
本件疾病の発症に関する医師の意見等の概要は、以下のとおりである。
(一) 本店診療所水野嘉子医師の意見書(<証拠略>)
(1) 亡靖夫について勤務時間短縮の扱いをしなかった理由
昭和六二年一月より、亡靖夫には狭心症症状があったが、昭和六二年六月の時点では、症状出現の回数も少なく、安定した状態にあると考えられ、以前と比較して病状に特に変化はないと考えられた。また、この患者の場合、大動脈弁閉鎖不全症で人工弁置換手術が施行され、二回の心筋梗塞の既往があり、手術前から続いている不整脈で継続的に抗不整脈薬投与を受ける状態であったことから、良好に管理され比較的安定した状態であっても、不整脈発生などによる突然死が、日常生活中あるいは業務中に偶然起こるリスクは、健常人よりも高いとはいえ、かかるリスクは勤務時間の短縮により回避できる性質のものではないとも考えられたからである。
(2) 昭和六二年一〇月五日の健康診断について
昭和六二年一〇月五日の健康診断(以下「本件健康診断」という。)の際の自覚症状は、本人の記述では全身状態はおおむね良好となっており、問診上、狭心症発作が認められたが、頻度はそれほど高いとは考えられなかった。胸部レントゲン写真上の心胸郭比も五三パーセントであり、昭和六一年七月の五四パーセント、昭和六二年二月の五五パーセントに比べて明らかな差はなく、人工弁機能を含み、心機能は安定していたことが示唆される。血液凝固能については、本件健康診断でも以前と同程度の水準にコントロールされていた。不整脈については、二四時間心電図記録でも、業務中や自宅安静時、夜間睡眠中とも同様の不整脈出現パターンであり、本件発症前の一年間において、増悪あるいは変化した所見は認めない。本件健康診断において、右下半盲の訴えがあり、念のため、頭部CT検査をセントラル病院に依頼したが、以前の脳梗塞の痕跡と考えられる所見のみであった。
以上から、本件健康診断においても、亡靖夫の病状に変化はなく、以前よりもむしろ元気なくらいであると感じられた。
(二) 本店診療所平田幸夫医師の意見書(<証拠略>)
本店診療所では、亡靖夫に対して定期的な健康診断を実施し、三浦医師と連係しながら、業務との係りを中心とした医学管理を行った。亡靖夫は、大動脈弁置換手術前より不整脈(心室期外収縮)が出現していたが、術後の経過で二回の心筋梗塞発作を起こしていることもあり、昭和五五年以降導入された二四時間心電図記録法による精密検査でも不整脈は多発していた。
昭和六二年一月の健康診断時に狭心症症状があり、その後、約一か月余り毎週経過観察していたが、三月にはこの症状は消失しており、その後、この訴えはない。
本件疾病は、安定した状態で突然に発症し、短時間に死に至っていることから、重症不整脈等の心臓発作を起こした可能性が高いと推察される。亡靖夫は、重症心弁膜症、人工弁置換手術、二回の心筋梗塞と狭心症の既往があり、手術前から続いている不整脈で継続的に抗不整脈薬投与を受ける状態であったことから、良好に管理され、比較的安定した状態であっても、不整脈発作などによる突然死が日常生活中あるいは業務中に偶然起こるリスクは、健常人よりは高く、この場合もその範囲のものと考えられる。
(三) 三浦医師の意見書(<証拠略>)
(1) 傷病名
急性心不全(大動脈弁閉鎖不全人工弁置換手術後、脳塞栓症、心筋梗塞)
(2) 主訴及び自覚症
昭和六一年、六二年頃の自覚症及び主訴は、不整脈、胸部痛
(3) 検査成績等
<1> 昭和四四年二月一五日、名古屋第一赤十字病院で大動脈弁閉鎖不全のため大動脈弁の人工弁置換手術を受けた。人工弁は、スター・エドワード9Aであり、同手術により大動脈弁閉鎖不全症は治ゆした。
退院後、同病院に通院し心電図検査等を受けていたが、昭和四七年一二月から三浦外科において二週間毎に通院し、胸部レントゲン、心電図検査、血液検査等の諸検査のほか、投薬を受けていた。
人工弁置換手術後は人工弁周辺に血栓を形成しやすいので、血栓予防のため抗凝固剤であるワーファリン錠を服用せしめていたが、術後数回に亘り、脳塞栓症や心筋梗塞を起こした。血栓が原因である。脳塞栓症については後遺症を残さず回復した。心筋梗塞については、心電図上、陳旧性心筋梗塞の所見が残ったが、血行動態的には支障がなかった。しかし、これが原因と考えられる心室性期外収縮(不整脈)や狭心痛発作がしばしば発現した。心室性期外収縮に対して抗不整脈剤が投与されていたが、それでも不整脈がしばしば起きた。狭心痛発作に対して常時冠拡張剤が投与され、発作時の屯用としてニトロール(ニトログリセリン)を服用せしめた。
<2> 本件疾病発症前一年間の症状
急性心筋梗塞を起こすと、血液検査でGOT、GPT、LDHが高度に上昇するが、毎月の検査で、GOT、GPTは正常範囲内であって、新たな心筋梗塞を思わせる所見はない。LDHは常時若干の上昇が認められるが、これは陳旧性の心筋梗塞によるものと認められる。トロンボテストは大体二〇パーセント前後にコントロールされていた。その他の血液検査所見はおおむね正常であった。胸部レントゲン写真で、心胸郭比は五二ないし五七パーセントで正常よりやや大きいが、肺野にうっ血は認められない。心電図では、常時、陳旧性心筋梗塞の所見あり。脚ブロックなし、房室ブロックなし。心房細動、粗動なし。脈拍欠損なし。心室性期外収縮をしばしば認める。
投薬 ワーファリン一日一回服用
リスモダン一日三回服用
パルピート、シグマート一日三回服用
ペルサンチン、ハイシクランカプセル、ATP二〇、ビタメジンカプセル一日三回服用
ニトロール錠適宜服用
なお、昭和六一年九月から昭和六二年九月までの投薬内容に変化はない。
<3> 人工弁は、金属製のケージの中にシリコンゴムのボールの入ったもので、弁座はテフロン布で覆われている。本件発症時までの異常なし。
<4> 本症発生原因
陳旧性の心筋梗塞があり、しばしば心室性期外収縮を発していたが、昭和六二年一〇月一四日、心室性期外収縮が急に連発し、心室細動となり、心停止に至ったものと考えられる。
(三) 中部労災病院健康診断センター服部健蔵医師の平成元年三月二二日付け意見書(<証拠略>)
亡靖夫の人工弁置換手術後死亡時までの病状結果は、調査資料によると左記のとおりである。
1 昭和四五年六月一一日 脳塞栓症
2 昭和四六年六月、七月、一二月 一過性脳虚血発作
3 昭和四八年四月一六日 急性心筋梗塞(前壁)
4 昭和五一年九月 急性心筋梗塞の再発作
5 昭和五五年四月 脳塞栓症の再発作 このころより不整脈の多発を認める。
6 昭和五八年より死亡前まで狭心症の症状あり。
以上の経過であるが、特に昭和六二年一月からの病態は、狭心症以外にも、心室性期外の連発、心室性期外収縮の二段脈、多源性心室期外収縮がそれぞれホルター心電図(二四時間心電図)によって確認され(一〇八一/二三時間。いずれも悪性度三)、発生頻度は、深夜の零時より二時までの間を除くと、業務中、業務外の時間帯で有意の差はなく、また、心室性期外収縮の悪性度についても、業務中、業務外の時間帯で有意の差はない。
また、昭和六二年四月一三日の心電図では、広範囲前壁側壁硬塞、左脚前枝ブロック、RonT(急死の前提となる悪性度の強い不整脈)を認める。
以上の病状経過より、亡靖夫の死因と業務との間には、相当因果関係が存するとは考えられない。
(四) 愛知労働基準局地方労災医員福村亮医師(<証拠略>)
平成元年三月二二日付けの服部健蔵医師の意見に賛同し、業務外と判断する。
(五) 中部労災病院健康診断センター服部健蔵医師の平成九年一一月一二日付け補充意見書等(<証拠略>)
(1) 平成元年三月二二日付け意見書の文中、RonTを認めるとあるのは、昭和六二年二月九日付けのホルター心電図(昭和六二年二月九日午前一〇時五五分から翌朝午前八時まで行われたもの、以下「本件心電図」という。)の誤りである。
亡靖夫の死亡時の状況は、発症から約二〇数分で死亡したものと考えられるので、急性心臓死のなかでも瞬間死に近い心臓性突然死と考えられる。
(2) 亡靖夫は、二回の心筋梗塞歴があるところ、心筋梗塞の既往を持った患者が突然死する危険因子のうちで、もっとも突然死に至る危険性の大きいものは不整脈であり、死亡前に前胸部痛の症状がなく、発症から約二〇分で死亡したものと考えられ全くの突然死であることからみても、亡靖夫の死因は一次性不整脈死(心筋虚血や急性心筋梗塞が原因で生じる二次性不整脈に対して使用する言葉で、全くの心臓の電気的な出来事として、心室細動となり、これが心臓性突然死の原因となる場合)と考えられる。
しかして、一次性不整脈による突然死のメカニズムは、複雑期外収縮(心室性不整脈)のように明らかにされた生理的危険因子以外には不明といわざるをえないところ、突然死を引き起こす不整脈の危険度については、LownやGraedeboyの分類によると次のとおりである。
記
一度 三〇回/時間以下
二度 三〇回/時間以上
三度 多源性のもの
四度A 二連発(なお、Graedeboyの分類によれば心室性二段脈)
四度B 三連発以上(なお、Graedeboyの分類によれば心室性期外収縮の連発)
五度 RonT
(3) 本件心電図から、心室性期外収縮の二連発、四連発、心室性二段脈、多源性心室性期外収縮、RonTを認める。これらは不整脈の中でも最も突然死をする危険性の高いものである。本件心電図では、二三時〇三分にRonTが認められる。同様の波形は、午前一〇時五五分より翌朝午前八時〇〇分の間に顕著な例として六五回認められる。また、発生の時刻は、午後、夕刻、夜中、早朝に認められ、心室性期外収縮の二連発以上の連発は、顕著の例として同時間内に一九回認められ、そのうち一回は心室性頻脈である。
かように、亡靖夫には、本件心電図所見上、先の分類上の三度以上の複雑不整脈のすべてが発生しており、なかでも四連発が夜間に見られることは重大な危険を有している心臓であると判断される。すなわち、亡靖夫の左心室は、心筋の不応期が短くなって興奮性が亢まっている状態であり、夜間といえども心筋に電気的な興奮状態が続いていたと考えられ、このことから亡靖夫が極くささいな交感神経の緊張によっても、重大な終末が突然生じる危険の大きかった人であることを示している。
(4) 亡靖夫が本件疾病発症時にしていた電話は、数日前から連絡をとっていた相手からのものであるから、予期せぬ電話ではない。電話の内容も、立腹していたのは相手方であり、亡靖夫は再度電話をする冷静さを持っていた。右電話はそれなりの緊張度があったと考えられるが、異常な出来事といえるほどのものではなく、通常の業務の範囲の中での精神的ストレスであったと考える。
(5) 亡靖夫の死亡は、心筋梗塞発症以来、少なくとも本件心電図を記録したころから心筋の電気的興奮性が異様に亢まった状態のなかで、日常生活や社会生活が営まれており、極些細な交感神経の緊張が心室性二連発や心室性頻脈、あるいはRonTから心室細動を生ぜしめた結果生じたものであるから、業務との間の相当因果関係はない。
(四) 名古屋保健衛生大学病院内科水野康医師の昭和六〇年二月四日付診断書(<証拠略>)及び三浦医師の昭和六一年二月一七日付診断書(<証拠略>)
右各診断書は、いずれも亡靖夫が身体障害者の認定申請に使用するために作成されたものであるが、亡靖夫の活動能力について、「家庭内の極めて温和な活動では何でもないが、それ以上の活動では心不全症状又は狭心症症状が起きる。時には、安静時でも心不全症状又は狭心症症状が起きる。」とされている。
(五) 立川相互病院循環器内科須田民男医師の意見書等(<証拠略>)
(1) 健康な若い人でもストレスや疲労によって危険な心室性不整脈が出現することがあり、強い心理的ストレスは致死的不整脈を発生させる。
亡靖夫については、人工弁置換手術後に人工弁周辺に生じた血栓のため、術後数回に亘り脳塞栓症や心筋梗塞を起こし、脳塞栓症については治ゆしたものの、心筋梗塞については、心電図上、陳旧性心筋梗塞の所見が残り、血行動態的には支障がなかったものの、その後、しばしばそれが原因と考えられる心室性期外収縮(不整脈)や狭心痛発作が出現した。しかし、本件疾病が発症するまでの五年間は脳塞栓症、心筋梗塞の再発もなく症状は安定しており、本件疾病発症前一年間の病態についても大きな異常はなく、血液検査所見はおおむね正常値であり、三浦外科における心電図検査においても、期外収縮が認められたのは七回、ないときは八回であった(<証拠略>)。また、ホルター心電図からは典型的なRonTは認められない。
心臓病患者の重症度の判定基準の一つである「NYHAの心機能分類」(<証拠略>)によれば、亡靖夫は、クラス一に近い二(なお、クラス二は、「心疾患を有し、わずかに身体活動に制限がある。安静時には症状がないが、通常の身体活動で疲労、動悸、息切れ、狭心症を生じる。」とされている。)に該当する。
しかして、亡靖夫に起こった致死的不整脈の発生機序は、まず、主に陳旧性の前壁梗塞の壊死病巣が繊維化し、生き残りの心筋の包囲を行うことによって興奮伝導遅延が起こり、その結果として一方向ブロックやリエントリーが起こり、致死的不整脈を生じやすい状態が準備された。次いで、心筋梗塞後の状態に加えて、大動脈弁置換手術後の左心室機能障害による左心室拡張末期圧の上昇が心室の刺激伝導系であるプルキニエ繊維を伸展させることにより、致死的不整脈を起こしやすい状態が準備された。そして、亡靖夫は中等症の心臓病であり、ホルター心電図上四連発の心室性期外収縮が出ているが、致死的不整脈発生の一番の目安となる三〇秒以上継続する心室頻拍は認められず、さらに失神、めまいといった心室性不整脈に関連した症状が出現していないから、当時の不整脈の状態は、特別な負荷がかからない限りは、急死を遂げるような致死的不整脈が起こる可能性は少ないことが伺われる。
してみれば、亡靖夫の死亡は、普段から致死的不整脈が起こりやすい状態にあったところ、業務に起因した過度の心理的ストレスが急激に加わり、致死的不整脈が発生した結果であって、心臓病の既往症の自然の経過による突然死ではなく、時間外勤務中に顧客との間で取り交わされた電話による突発的で極度の興奮や驚愕などの強度の心理的なストレスが引き金になって発症したものであるから、業務起因性がある。
なお、亡靖夫は、従前から立垣の追加担保設定手続が未了であることにストレスを感じていたところ、勤務時間が終了し仕事から解放され緊張感が緩んだタイミングの悪い時期に電話がかかり、そこで立垣から「上司を出せ。」などと心理的暴力を加えられたものであるから、右電話の内容は、急激で過大な心理的ストレスであったと考えられる。
(2) 致死的不整脈の治療は、電気的除細動によるものが最も確実であるが、前胸壁を拳で強打するサムバージョンという治療も有効である。これらの治療によって有効な心拍出が再開するなら、救命の可能性は十分にあったと言える。しかし、これらの治療は発症後数分以内に行われなければならず、さらに引き続き心肺蘇生法を含んだ専門的な医療を必要とする。
亡靖夫は本件疾病発症後一五分前後は死亡していなかったから、これらの治療がなされていれば救命の可能性があったのに、勤務時間を過ぎていたため本店診療所の医師らの救命措置を受けることができず救命の機会を逸したといえる。
五 以上認定の事実を総合すれば、本件疾病の業務起因性について次のとおり認めることができる。
1 業務過重性の判断に際して考慮すべき事情
(一) 本件疾病発症前の業務内容
(1) 最終審査業務
亡靖夫が担当していた最終審査業務は、各支店経由あるいは建築業者から直接提出された審査書類の照合、確認を行う形式的、類型的な机上業務であり、処理困難な案件については村上調査役に相談するシステムになっていたこと、審査書類の補正も各支店の融資担当者や建築業者の経理担当者を通じて行うものであり、そのうち建築業者の経理担当者に対する指導は主として村上調査役が行っていたこと、各支店の融資担当者や建築業者の経理担当者からの書類作成に関する問い合わせについても主として村上調査役が担当していたこと、亡靖夫は約四年間継続して最終審査業務に従事しており、その業務内容について習熟していたと窺われることからすると、右最終審査業務の業務内容それ自体は、亡靖夫に対して肉体的、精神的な負担を生じさせるようなものではなかったと認められる。
そして、最終審査業務の遂行については、処理件数や分担等についてノルマは設定されておらず、自己の業務の進捗状況に応じて処理すれば足りるものとされていたこと、実際にも村上、河口両調査役において多数の案件が処理されており、亡靖夫の死亡前三か月間の処理件数は一五〇件前後と一定件数で推移していたこと、亡靖夫以外の係員は業務量に応じて時間外勤務をしていたが、亡靖夫はほとんど午後五時ころに業務を終了していたことからすると、亡靖夫の最終審査業務に関する仕事量も過大であったと認めることはできない。
ところで、原告は、精算係は多数の処理案件を抱えており、恒常的に人員不足の状態にあり、亡靖夫も本来禁止されていた時間外勤務を行わざるをえない状況にあった旨主張している。
しかし、亡靖夫が時間外勤務をしていなかったことは前記認定のとおりであるから、仮に、精算係が多数の処理案件を抱え、人員不足の状態にあったとしても、そのことから亡靖夫の業務量が過大であったということはできない。
また、亡靖夫が死亡した一〇月一四日は繁忙期に入って二日目であったが、亡靖夫の同月一二日の処理案件は九件、同月一三日のそれは六件、同月一四日のそれは八件であるから、繁忙期であることをもって亡靖夫の業務量が過大であったとはいえない。
したがって、亡靖夫の最終審査業務が過重であった旨の原告の主張は採用することができない。
(2) 追加担保管理業務
亡靖夫は追加担保管理業務を一人で担当していたものであるが、追加担保管理業務の大部分は東海銀行が委託した司法書士において行われており、亡靖夫が実際に行う仕事は、司法書士から提出された登記簿謄本や担保差入書の照合、確認が主たるものであったこと、右司法書士に依頼せず自分で抵当権設定登記手続を行う顧客に対しては、亡靖夫が直接連絡をとって右登記手続に必要な書類の授受をしなければならないが、こうしたイレギュラー案件は極く少数であり、処理困難な事件については村上調査役に相談するシステムになっていたこと、亡靖夫は約四年間継続して追加担保管理業務に従事しており、その業務内容に習熟していたと窺われること、追加担保管理業務の処理件数は、昭和六二年七月が六件、同年八月が三一件、同年九月が五八件、同年一〇月が一二件であったが、亡靖夫はいずれの日も時間外勤務をすることなくこれらの案件を処理していること、最終審査業務と追加担保管理業務の負担割合は、九対一程度であったことからすると、亡靖夫の追加担保管理業務が肉体的、精神的にそれほど過重なものであったとは認められない。
ところで、原告は、昭和六二年七月以降同年九月までの追加担保管理業務の負担度は、処理件数ではなく手持件数で判断すべきである旨主張している。
しかし、前述のとおり手持件数のほとんどは司法書士の手続が終わるのを待っているにすぎないから、仮に、手持件数が四九二件あったとしても、そのことから亡靖夫の業務が過重であるということはできない。
また、犬山長者町土地区画整理事業の関係で亡靖夫が多数の顧客に案内状を発送したり、その中の何名かがイレギュラー案件になったとしても、その業務内容及び亡靖夫が時間外勤務をせずにこれらの仕事を処理していたことからすると、そのために亡靖夫の業務が過重であったとは認められない。
したがって、追加担保管理業務が過重であった旨の原告の主張は採用することができない。
(3) 立垣との電話について
立垣に関する追加担保管理業務は、いわゆるイレギュラー案件であり、しかも、立垣の東海銀行に対する不満に基づく非協力的な態度から、その処理が相当遅延しており、亡靖夫も一週間に一度の割合で立垣に抵当権設定登記手続を催促していたこと、また、亡靖夫は、本件疾病発症当日も立垣の案件について、今日連絡がとれなかったら自分で出かけて行かなくてはならない旨原告に伝えていることからすると、亡靖夫が、立垣の案件について心理的ストレスを感じていたであろうことは否定し難い。また、本件疾病発症日における二度目の電話で、立垣が強い口調で、「何度も同じことを言わせるな。上司を出しなさい。」と言ったことも、亡靖夫に心理的なストレスを抱かせたものと認められる。
しかしながら、亡靖夫は約二四年の経歴を有するベテラン行員であり、ローン業務センターに配属される前は、岡崎支店及び出来町支店において接客業務にも従事していたものであること、銀行の接客業務においては色々な顧客があり、中には理由の有る無しにかかわらず、「上司を出せ。」と言う顧客もないわけではなく、亡靖夫もそのような体験を直接したり、あるいは、同僚等から聞いたりしていたであろうこと、また、亡靖夫は、これまでにも立垣に何回か電話しており、立垣が東海銀行に不満を抱いており、抵当権設定登記手続に非協力的であることを知悉していたこと、亡靖夫は、本件疾病発症日の立垣との電話でも普段通りの受け答えをしており、特に興奮している様子はなかったことからすると、右の立垣のイレギュラー案件や電話の件は予期し得ない異常な出来事とはいえず、亡靖夫に対し、業務に通常随伴する以上の過度の精神的な負担をかけたものとは認められない。
右認定、説示に反する原告の主張は採用できない。
(二) 亡靖夫の健康状態について
亡靖夫は、昭和四四年二月に大動脈弁を人工弁に置換する手術を受けた後、昭和四四年から昭和五五年までの間に、脳塞栓症、一過性脳虚血発作、急性心筋梗塞(前壁)、狭心症を発症しており(ただし、これらの疾患は人工弁周辺に生じた血栓によるものと認められる。)、昭和五五年四月からは不整脈の多発が認められ、昭和五八年からは狭心症の症状があったが、本件疾病発症前一年間においては、増悪あるいは変化は認められず、比較的安定した状態であった。
しかし、亡靖夫の健康状態は、右の急性心筋梗塞を原因とする陳旧性心筋梗塞のため、職場、自宅を問わず不整脈や狭心症発作がしばしば発現し、その都度、携行していたニトログリセリン、リスモダン等を服用して発作を止めるような状態にあり、本店診療所の医師らからも、良好に管理され比較的安定した状態であっても、不整脈発作などによる突然死が日常生活中あるいは業務中に偶然起こるリスクは、健常人よりも高いと認識されていた。
さらに、昭和六二年二月九日に記録された本件心電図によれば、業務中や自宅安静時、夜間睡眠中を問わず、心室性期外収縮の連発、心室性期外収縮の二段脈、多源性心室期外収縮、RonT等の突然死に至る危険が極めて高い悪性の不整脈が数十回に亘って確認されており、LownやGraedeboyの不整脈についての危険度分類表によれば、いずれも最高度の五度に分類され(なお、須田医師は、亡靖夫の心臓疾患の程度について、NYHAの心機能分類によればクラス一に近い二であり、中等症に属する旨記述しているが、水野医師の昭和六〇年二月四日付診断書及び三浦医師の昭和六一年二月一七日付診断書に各記載されている亡靖夫の症状によれば、亡靖夫の心臓疾患の程度は右のクラス一に近い二とは認められず、したがって、中等症に属する旨の供述も措信することができない。)、些細な電気的刺激によって心室性二連発や心室性頻脈、あるいはRonTといった致死性の高い悪性不整脈が生じるおそれが極めて高い状態にあった。
したがって、亡靖夫の心臓の容態は、昭和六二年一〇月当時、重篤な状態にあったものと認められる。
2 相当因果関係の存否について
(一) 業務の加重性に基づく相当因果関係の存否
本件疾病が立垣との電話中に発症していること、立垣のイレギュラー案件及び立垣の電話での発言が亡靖夫に対して心理的ストレスをもたらしたことは否定できないことからすると、亡靖夫の本件疾病は、立垣の電話での発言が一つのきっかけとなって発症したものと推認することができる。
しかしながら、亡靖夫の健康状態は、昭和六二年一〇月一四日当時、些細な電気的刺激によって、いつ致死的不整脈が発症しても不思議でない重篤な状態にあったこと、亡靖夫が当時従事していたローン業務センターの業務内容は、肉体的、精神的に過重なものではなかったこと、立垣のイレギュラー案件及び立垣の電話での発言も予期し得ない異常な出来事とはいえず、亡靖夫に対し、業務に通常随伴する以上の過度の精神的負担をもたらしたものとは認められないことからすると、本件疾病の発症は、亡靖夫の業務に通常内在ないし随伴する危険が顕在化したもの、すなわち、亡靖夫の本件基礎疾患がその自然的経過を超えて急激に増悪したものと認めることはできない。
ところで、須田医師は、当時の亡靖夫の心臓疾患の状態は、特別な負荷がかからない限り急死を遂げるような致死的不整脈が起こる可能性は少なく、亡靖夫の死亡は、業務にかかわる強い心理的なストレスが急激に加わり致死的不整脈が発生した結果であって、本件基礎疾患の自然の経過によるものではない旨供述しているが、前述のとおり、亡靖夫の心臓疾患の状態は、中等症ではなく重篤なものであったと認められるから、須田医師の右供述は採用することができない。
したがって、亡靖夫の業務と死亡との間に相当因果関係は存在しないと解するのが相当である。
(二) 安全配慮義務違反に基づく相当因果関係の存否
原告は、使用者の安全配慮義務違反により労働者の基礎疾患が増悪して労働者が死亡した場合は、業務と死亡との間に相当因果関係があるというべきである旨主張する。
しかし、安全配慮義務には、労働者の健康に重大な影響を及ぼすものからそれほどでもないものまで、その内容は多様であるから、単に安全配慮義務に違反していることのみで、労働者の基礎疾患が増悪したとか、業務と死亡との間に相当因果関係があると推認することは相当でない。確かに、当該安全配慮義務違反の態様、程度によっては、それが、疾病の発症と業務との間の相当因果関係を推認させる場合もあり得るが、右の場合も業務過重性の判断に包含されるものであり、前記「争点2について」の項で説示した相当因果関係の存否の判断方法と変わるものではない。
以下、右の観点から、原告の具体的な安全配慮義務違反の主張について判断する。
(1) 原告は、亡靖夫は時間外労働が禁止されていたにもかかわらず、各職場において時間外労働を余儀なくされ、そのため本件基礎疾患は徐々に増悪していった旨主張している。
しかし、亡靖夫が、ローン業務センターではほとんど時間外勤務をしていなかったことは前記認定のとおりであり、岡崎支店及び出来町支店においては、時に午後八時ころまで時間外勤務をしていたことが認められるけれども、右時間外勤務が、本件疾病の業務起因性を推認させるほどに、本件基礎疾患を増悪させたことを認めるに足りる的確な証拠はない。
(2) 原告は、東海銀行は、亡靖夫が心臓発作を発症した場合に備えて、医師や亡靖夫とあらかじめ十分な打合せをしておく義務があったのに、これを怠ったため、亡靖夫がワイシャツのポケットに常時携帯していたニトログリセリンを服用させることができなかった旨主張している。
しかし、右の主張事実はそもそも業務起因性の判断要素にはならないものと考えられるが、精算係の職場においては、亡靖夫の容態が悪化した場合に備えて三浦外科と亡靖夫の自宅の電話番号を誰にでもわかるように表示したり、具合が悪いときは同僚が自宅や三浦外科に随伴するなど、亡靖夫の健康状態について十分配慮していたこと、亡靖夫は村上調査役らに対して自分の健康状態や携帯していた薬のことについて話したことはなく、村上調査役らもプライバシーに配慮して亡靖夫にこれを聞くことはなかったことからすると、本件疾病発症時に亡靖夫にニトログリセリンを服用させられなかったことをもって、東海銀行に安全配慮義務違反があったということはできない。
(3) 原告は、東海銀行は、亡靖夫の労務負担をできるだけ軽減するべく適切な職場に配属したり、適正な人員を配置する義務があったのに、これを怠った旨主張している。
しかし、東海銀行は、亡靖夫の職場について同人の希望をできるだけ考慮し、本店診療所に近く、顧客との折衝業務も少なく、かつ出来町支店でのローン担当窓口の経験を生かせるようにローン業務センターの精算係に配転させ、死亡時まで同一職場に配属していたものであるから、亡靖夫を適切な職場に配属すべき義務に違反していたとはいえない。
また、精算係は男子三名、女子四名の構成であり、昭和六二年七月に常川の退職を見越して川口調査役が着任し、同年八月に常川が退職しているが、前記認定の精算係の業務量、勤務実績からすると、右人員配置が適正でなかったとは認められない。
右(1)ないし(3)のとおり、原告の主張はいずれも採用できない。
六 争点4について
1 前記一の1(一)に説示したとおり、労基法七九条、八〇条の「労働者が業務上死亡した」といえるためには、被災労働者の死亡と業務との間に相当因果関係が存在することが必要であるところ、当該業務に通常内在ないし随伴する危険性の発現として死亡結果が惹起されたと評価できる場合に、相当因果関係の存在を肯定することができる。
しかして、業務外の基礎疾患により死亡した場合であっても、当該業務の性質あるいは当該時点における業務の具体的遂行状況から、引き続いて当該業務に従事せざるを得なかった、あるいは通常受けられる程度の治療を受けることが困難であったために死亡したような場合は、当該業務に従事せざるをえなかったこと自体が、基礎疾患を自然的経過を超えて急激に増悪させ死亡結果を招いたものと評価できるから、当該死亡結果は、当該業務に通常内在ないし随伴する危険性が顕在化したものということができ、業務と死亡との間に相当因果関係を肯定することができるものと解するのが相当である。
2 そこで、これを本件についてみるに、前記認定のとおり、亡靖夫は昭和六二年一〇月一四日午後五時二〇分ころ本件疾病を発症したが、村上調査役らは直ちに亡靖夫をソファーに寝かせ、三浦医師に電話して救命措置の指導を求め、亡靖夫が携帯していたニトログリセリンを探したが発見できず、同日午後五時三九分ころ名古屋市中消防署に連絡し、同四二分ころに駆けつけた救急隊員が救命措置を試みたが既に遅く、同日午後六時二〇分に死亡が確認されたものであるところ、<証拠略>によれば、ローン業務センター付近は、名古屋市の中心部に所在することもあって、本店診療所以外にも複数の医療機関が存在していたことが認められる。
そうすると、亡靖夫には、本件疾病発症後、引き続いて業務に従事せざるを得なかったり、通常受けられる程度の治療が受けられなかったという事情は認められないから、右1の観点からも、業務と死亡との間に相当因果関係を肯定することはできない。
ところで、原告は、本件疾病が本来禁止されている時間外勤務中に発症したため、本店診療所の医師らによる応急措置を受けることができず、救命の機会を逸した旨主張する。
しかし、右は、当該業務の性質あるいは当該時点における業務の具体的進行状況に基づく制約ではないから、そもそも主張自体理由がないが、ローン業務センターの付近には本店診療所以外にも複数の医療機関が存在していたから、午後五時以降で本店診療所が閉鎖されていたことをもって救命の機会を逸したとはいえない。
また、原告は、亡靖夫は立垣との電話に応対中であったため、治療薬を服用することができなかった旨主張している。
しかし、亡靖夫は村上調査役に右の電話を替わってほしい素振りを示しており、電話中であったことが治療薬の服用を妨げる事情になるとは考えられないところ、本件疾病は突発的に発生し急激に進行したものと認められるから、亡靖夫は電話中であろうとなかろうと自ら治療薬を服用することはできなかったものと推認される。
また、原告は、亡靖夫は、名古屋市中消防署への連絡が遅れたことによって救命の機会を失った旨主張している。
しかし、右も、当該業務の性質あるいは当該時点における業務の具体的進行状況に基づく制約ではないから、そもそも主張自体理由がないところ、本件疾病の発症から消防署への連絡までに約二〇分経過しているとしても、前記認定の本件疾病発症後の村上調査役らの対応に照らせば、これが遅すぎるとはいえない。
したがって、原告の右の主張はいずれも採用することができない。
七 争点5について
1 本件認定基準の適用の誤りについて
原告は、被告審査官には本件認定基準の適用を誤った違法がある旨主張している。
しかし、本件認定基準は、労働省の内部基準にすぎず法的拘束力はないから、仮に、被告審査官が本件決定を行うに当たって本件認定基準の適用を誤ったとしても、それが本件決定の取消事由になるものではない。
したがって、原告の右の主張は失当である。
2 審査関係書類等の閲覧拒否について
<証拠略>によれば、本件審査請求において、被告審査官は、審査請求人である原告から、被告労基署長から提出された審査関係書類等の開示、閲覧を求められたのに対し、これに応じなかったことが認められる。
ところで、被告労基署長の労災保険給付に関する決定に対する不服申立ては、労働者災害補償保険審査官に対してなすものとされており(労災保険法三五条一項)、その手続きは原則として行政不服審査法に定められた手続に従うものと定められているところ(行政不服審査法一条二項)、労災保険給付決定に対する審査手続に関しては、労災保険法三六条により行政不服審査法の規定のうち、審査請求人に原処分庁から提出された書面その他の物件についての閲覧請求権を認める旨の規定(行政不服審査法三三条二項本文)の適用が除外されているから、原告には、被告労基署長から提出された審査関係書類等の閲覧請求権はない。
したがって、被告審査官が審査関係書類等を原告に開示するか否かは、被告審査官の裁量に委ねられているものであるところ、これを開示しなかったとしても、労災保険法一条に違反するとはいえない。
よって、審査関係書類等の閲覧拒否が労災保険法一条に違反する旨の原告の主張も理由がない。
第四結論
以上のとおり、亡靖夫の死亡につき業務起因性を否定した被告らの判断に違法はなく、また、被告審査官の審査手続にも違法はないから、原告の本訴請求はいずれも理由がない。
よって、原告の本訴請求はいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 林道春 山本剛史 片野正樹)
別紙一ないし三<略>